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【毎月更新!】農業なくして持続可能な社会なし今回のテーマ:SDGs目標6|安全な水とトイレを世界中に
今回のコラムと関係するSDGs目標は、【6:安全な水とトイレを世界中に】。目標6の内容は「すべての人に水と衛生へのアクセスと持続可能な管理を確保する」です。
SDGs目標別アーカイブ
目標1・2・3|目標4|目標5|目標6|目標7|目標8|目標10|目標11|目標12|目標13|目標14・15水の生まれる里「南阿蘇村」
私が南阿蘇村に移住して農業を始めたのは、2003年のこと。その当時、市町村合併前だったこの場所は、「白水村(はくすいむら)」という名前でした。なんと美しい名前なんでしょう。「水の生まれる里」と銘打った、おいしい水と美しい風景を誇るこの村を初めて訪れ、付き合い始めたばかりの彼のおじいさんに会ったときのこと。初対面で「おい、お前は百姓になるか」と唐突に聞かれたとき、「こんな場所で子育てしたい」と直感的に思い、思わず勢いで「はい!」と即答したのは、今ではいい思い出です。その数年後に就農したとき、義祖父は「そんなこと言ったかな」ととぼけていましたが(笑)。
農業や工業用の水もすべて天然水!
2005年に、白水村、久木野村、長陽村3つの村が合併して、「南阿蘇村」が誕生。合併しても「村」のままという珍しい場所になり、白水村は「南阿蘇村白水地区」として名前が残りました。白水村だけでなく、一緒に合併した久木野村、長陽村にも数々の水源があります。スポンジのような火山の地質が雨水をゆっくりろ過し、その澄んだ水が地下水として麓で出てくるのだそう。飲料水はもちろんのこと、農業用や工業用の水もすべてその地下水で賄われています。南阿蘇村の湧水群
名水百選にも選ばれている「白川水源」は、コロナ禍でも密になりにくい人気の観光地です。ほかにも毎秒2トンもの水が湧いているといわれている、我が家から最寄りの「竹崎水源」。熊本地震でいったん水が枯れてしまい、今は徐々に水位が戻りつつある「塩井社水源」。子宝に恵まれる誕生水として有名な「明神池水源(明神池名水公園)」など、水源めぐりができるほどたくさんの場所から水が湧いているのが南阿蘇村なんです!そのため、南阿蘇村は地下水保全条例によって、水源地やかん養地(地下に水をため込んでいるような場所)でのボーリングを禁止したり、地域住民による「水源保存会」という組織が戦前から清掃活動をしたりして、地下水を守る取り組みを続けています。
身近に名水が湧き出ていることの恩恵
ユニセフ(国連児童基金)とWHO(世界保健機関)は、世界では21億人(世界人口の約10人に3人)が安全な水を自宅で入手できず、45億人(世界人口の約10人に6人)が安全に管理されたトイレを使うことができていない、と発表(参考:ユニセフ「水と衛生 進歩と格差」)。特に農村部では深刻だそうです。農村部でありながら、これほどまでに安全でおいしい水を好きなときに好きなだけ飲み、さらには農業にまで使えている南阿蘇村の状況が、当たり前のことではないんだと改めて思う数字です。
災害時に飲み水をくみに行ける環境
そのことを、しみじみと実感したときがありました。2016年の熊本地震発災時です。我が家では、4月16日の本震後に断水しました。未明に起きた本震直後に、私たち家族は全員車の中に避難。朝になって家は大丈夫そうだったので入ってみたら、その時点ではまだ水が出ていました。地震の規模から考えて、断水は時間の問題だと思ったので、お風呂、バケツ、水筒などにできるだけの水をためました。
それはそれで役に立ったのですが、叔父も含む家族7人で生活していたらすぐになくなってしまうので、軽トラックにタンクを積んで最寄りの竹崎水源に水をくみに行きました。すると、水がどす黒く濁っているではないですか!還暦を過ぎていた叔父にとっても、竹崎水源の水が濁っているのをみるのは生まれて初めてだったとか。結局、山の中腹まで登り、山水を汲んで飲み水にしました。
飲めるほどの水でお米をつくれる幸せ
都市部では水を得るために何時間も行列に並ばなければいけなかったそうですし、牛に水をやるために苦労された方も多かったですし、水路や水脈が途切れて水が来なくなった田んぼもたくさんありました。私たちの場合、家の近所で湧水がくめ、同じく山からの水を飲んでいる牛たちも問題なく、その年にお米がつくれた我が家はラッキーだったとしか言いようがありません。水があることが当たり前じゃないんだ、と家族全員が身をもって感じた出来事でした。
意外と知らなかった農業用水の割合
今回の連載を書くにあたっていろいろ調べていたら、水の使い道は農業用水・工業用水・生活用水の3つに分類されるのだそうです。そして、使われている水のうち、なんと日本では66%、世界では70%が農業用水だとか(参考:国土交通省)。ビックリしました。近年では実際に使う水だけでなく、輸入する農産物や加工品を作るために使われている水を「バーチャルウォーター」としてカウントする動きも出ています。
いずれにせよ、農業にたくさんの水を使っていることは知っていても、それが取水量ベース(河川水、地下水等の水源から取水された段階の水量)の水資源全体の6~7割にも及ぶとは知りませんでした。
ただ、ウチの場合は使っているすべての水が阿蘇の伏流水で、まさに「湯水のように使う」ことができる環境。じゃあそれをどうやって守っていけばいいのか。
そのためには、これまで通り、環境に負荷をかけない農業をし続け、林業や畜産業もきちんと続けることで、山肌を覆っている森や草原が維持されていく今の生活を続けていくのが一番だと思っています。小難しいことも書きましたが、要は今まで通りがんばることが大事なのかと。
畑に水を引くという中村哲さんの偉業
アフガニスタンで日本人医師の中村哲さんが銃撃され亡くなられたニュースに、ショックを受けた方は少なくありません。私は、お会いしたことはありませんが、中村哲さんが九州出身であることや、取り組まれていたのが農家や人の命を救うための灌漑(かんがい)事業だったことから、中村哲さんの存在は前々から存じ上げておりました。なんと38年も前の1983年に設立の、中村哲さんの活動を支援する目的で結成されたペシャワール会のホームページに、中村哲さんの活動や現地での様子が詳しく紹介されていますので、ご興味のある方はぜひご覧ください。
水が来ない畑に水を引いた、ということのすごさ
中村哲さんの有名な言葉は、「100の診療所より、1本の用水路を」。中村哲さんはお医者さんですが、病気の背景には慢性の食糧不足と栄養失調があるという判断から、砂漠と化していた農地を回復させて、まずは農業ができる状態をつくることで、健康な体づくりにつながる十分な食糧の確保を目指されていました。
現在も建設工事が続いていますが、アフガニスタン東部に建設した用水路の長さは約27キロ。その用水路は、福岡市の面積のほぼ半分に当たる1万6,500ヘクタールを潤し、農民65万人の暮らしを支えているそうです(参考:ペシャワール会)。
ウチの田んぼは、用水路の水門を開ければ水が入ってきますが、そうではない田んぼや畑で作物を育てるには、水を引くための工事が必要です。でも、水を得るための工事って、本当に大変。昔は水の豊富な阿蘇でさえ、田んぼに水を溜めるために血を見る争いがあったとか。特に棚田の下の方は、なかなか水がたまらないのでヤキモキやイライラが起きるのです。
ちょっとした工事でも大変なのに、27キロにも及ぶ灌漑(かんがい)工事を引率した中村哲さんのリーダーシップと、その活動を支えてきたすべての皆さんに敬意を表します。世界中どこでも用水路ができるわけではないと思いますが、遠い国のこと、と思うなかれ。世界人口が急増する中で、日本に回してもらっている農産物が、いつまで今まで通り確保できるかなんて誰も保証ができません。世界の飢餓問題や水問題に、ときには目を向けてみましょう!
中村哲さんと親しかった加藤登紀子さんとのつながり
ときには昔の話を
ときには、ということで、ここからは私自身が関わった話です。日本を代表する歌手の加藤登紀子さんをご存知ですか?若い方には、映画『紅の豚』のジーナの声優さんといったほうがわかってもらえるかもしれません。加藤さんはご主人の藤本敏夫さんと共に、千葉の鴨川に「鴨川自然王国」という農場を40年も前につくられ、農ある暮らしを始められました。有機野菜や無農薬農産物の宅配を、日本で初めて手掛けた「大地の会」の初代会長さんは、藤本敏夫さんです。
お二人の次女であるYaeさんは、何を隠そう私のソウルメイト。農業をしながらほかの活動もする「半農半X」という生き方を実践されていて、私は30代前半からお付き合いをさせていただいています。Yaeさんの公式ホームページはこちら。
お母さまである登紀子さんの代表作の1つ「時には昔の話を」は紅の豚のエンディング曲として有名ですが、Yaeさんともそろそろ昔の話ができる年齢になってきました。そんなご縁から、登紀子さんの手料理までごちそうになったことがある私。家族ぐるみのお付き合いは今後も続きそうで、熊本地震のときには支援もいただき、何より子どもたち同士も交流があるのはうれしいです。
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加藤登紀子さんが来熊して実現した、中村哲さん追悼イベント
話が「水」からそれたようにみえますが、実はつながっています。中村先生と親交の深かった登紀子さんを熊本にお招きして開催された「中村哲さん追悼チャリティコンサート」。登紀子さんご自身から私に、実行委員に就任するようにとお電話をいただき、微力ながらイベントのお手伝いをしました。元々は2020年3月に計画されていたチャリティコンサートですが、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて2度の延期。3度目の正直で、ようやく2021年4月17日に開催されました!
会場となった熊本県立劇場では、舞台に竹明かりの火がともり、スクリーンには砂漠に水が流れるまでの様子が映し出され、登紀子さんが語りかける平和と農業への想いと歌声が、ジーンと心に響きました。中村先生が亡くなられた半年後に録画された、登紀子さんの平和や農業への想いを語った取材動画がYouTubeで公開されています。まさに「水と農業」、ということで、中村哲先生について触れてみました。
湧き水飲み放題で育ってきた子どもたちへ
そんな感動的なコンサートに向かう途中、息子が進学した高校に父と母を案内しました。
4月から夫の実家に下宿している息子たち。熊本は、政令指定都市でもある熊本市を含む約100万人が下流域で暮らしていますが、水道水のほぼすべてを地下水でまかなっている世界でも稀少(きしょう)なエリアです。
熊本に下宿するにあたって、阿蘇で育った子どもたちに「水を使い過ぎるのはもったいない」ということを教えるのが一番大変でした。何しろ子どもたちは、水が大量に後から後から自然と湧いてくる様子を見ながら、育ってきたのですから。
自然児だった息子たちは、水源で泳ぎ、のどが渇くとそのまま水源の水を飲む、というのがスタンダード。遊びに行くときも水筒を持たず、のどが渇くと水源に寄る。そんな子、なかなかいないですよね(笑)。
水源から下流に移っても、なお阿蘇の恩恵を受けておいしい水を好きなだけ飲んでいる息子。ただ、小さいころに私の実家がある東京や、仕事ついでに連れて行った海外で、水がおいしくなかったり、水を買わなければいけなかったりする状況を、少しでも経験させられたことが唯一の救いかもしれません。水に困らなかった幼少期の体験が、いつか、「水は守るもの」という意識につながってくれれば、と祈る母なのでした。
水のいらないトイレ1|屋外水洗トイレ
昔から男に生まれたかった私の一番のあこがれは、「立ちション」。羨まし過ぎる…。移住してから最初の13年間はボットン便所の暮らしをしていたのですが、息子たちは用水路や田んぼに行けば、屋外トイレを使用(笑)。近所の皆さんからも「肥料になるからいいぞ」と太鼓判を押され、白昼堂々と雄大な景色を眺めながら放尿していました。
ちなみに家のボットン便所には、私が出張先のドイツで買ってきた変な便座をつけていました。初代は透明な樹脂に有刺鉄線が埋め込まれているもので、2代目はリアルなトラが3D加工された便座でした。大人はギャグとして笑っていたのですが、息子たちは、トラだけに?結構トラウマになっている、と聞いたのはごく最近のこと。
娘は、水洗トイレのある「本家」と呼ばれる先祖代々の家に移ってから生まれたので、ボットン便所を知りません。大津家的生活改善ということで、まぁそれはそれで良かったのかもしれません。
水のいらないトイレ2|熊本地震後に設置したバイオマストイレ
しかし、ボットン便所での暮らしが役に立つ日が突然やってきたのです。熊本地震の余震による屋外退避や断水のとき、ボットン便所があった前の家は、今の家のすぐ隣。水が止まってもまずは隣の家のトイレに行けば済みました。なんと便利な!! とはいえ、どこの避難所でもトイレ問題は起きていたので、「備えは必要」という危機感には繋がりました。
バイオマストイレと、みんなで生き抜くためのカフェ
そこで、熊本地震が発災した年の終わりに、県の補助金とたくさんの方からいただいた支援金で、小学校の目の前に水のいらない「バイオマストイレ」を設置しました。小学校の体育館が広域避難所にもなっているので、いざというときには役に立ちます。ただ、普段まったく使用されないのではもったいなさ過ぎるので、バイオマストイレの横に小さなカフェもオープン!普段はカフェとして営業していますが、非常時に備えて、太陽光発電+バッテリー、木くずを固めたペレットを燃やすストーブやピザ窯、炊き出し用のプロパンガス用と薪用のカマド2セットも備え、いざというときは地域のみんなで生き抜くことができるための場所を作りました。
バイオマストイレは結構な値段がするのですが、こういう技術が世界中に広がって、水が少ないところでも安全なトイレができるといいな、と願ってやみません。
阿蘇地方で使う雨水タンクの課題
モンスーン日本
九州に住んでいると、めっちゃ暑いし、雨の量もハンパなく年々ひどくなっている感じもあり、日本はアジアの中のモンスーン気候下にある地域、“モンスーンアジア”の一部だなぁと感じます。九州では、「水を守る」「水を確保する努力をする」というよりは、水害をどうやって避けるか、というほうが深刻な状況です。ただ、地球温暖化の影響で、いついきなり干ばつが来るかもわかりません。備えとしてできることといえば、雨水をためられる状況を少しでもつくっておくことかなと思い、昨年、九州大学の実験の一部として、前述のカフェと我が家の庭に雨水タンクを設置しました。
雨水タンクの課題
ところが、です。阿蘇は活火山。大きな噴火は何年かに一度しかありませんが、日常的に山からはモクモクと煙が上がり、風向きによっては灰が降ってくるのは毎年のこと。降った雨が、屋根から雨樋(あまどい)に集まって雨水タンクにたまっていくのですが、そのときに屋根に積もった灰まで一緒に流れてくるのです。考えてみれば当然ですよね。熊本エリアでは、今のところ放射性物質の心配は少ないことから、雨水の利用を試してみようと思ったのですが、灰だけでなく空中の有害物質を含んでしまう可能性も否定できません。雨水を利用するのは、先進国と言われる車や工業が多い国では健康面で、まだまだハードルが高いのかもしれません。今後も実験は続けていきます。
水が豊富な日本だからこそ、改めて「水」を考える
SDGsの目標はどれも壮大過ぎて、自分事にしたり、自分の立場で何ができるかを考えるのが大変に思うこともあるかもしれません。でも、要は「意識すること」なんだと思うのです。世界的にも珍しい部類に入る、水資源に恵まれた日本という国に住む私たちが、自分たちの置かれた状況が当たり前じゃないことを知ったうえで、水の問題に意識を向けてみることが大切かと。農業、という分野でいけば、水との関わりはなおさら直接的です。農業をずっと続けていくために、水の使い方や付き合い方について、時々考えてくれる農家さんが増えたらうれしいな、と思います。
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【毎月更新!】農業なくして持続可能な社会なし家族経営農家の生活を写真と共に紹介♪「ハッピーファミリーファーマーズ日記」
大津 愛梨(おおつ えり)プロフィール
1974年ドイツ生まれ東京育ち。慶応大学環境情報学部卒業後、熊本出身の夫と結婚し、共にミュンヘン工科大学で修士号取得。2003年より夫の郷里である南阿蘇で農業後継者として就農し、有機肥料を使った無農薬・減農薬の米を栽培し、全国の一般家庭に産直販売している。
女性農家を中心としたNPO法人田舎のヒロインズ理事長を務めるほか、里山エナジー株式会社の代表取締役社長、一般社団法人GIAHSライフ阿蘇の理事長などを兼任。日経ウーマンの「ウーマン・オブ・ザ・イヤー」やオーライニッポン「ライフスタイル賞」のほか、2017年には国連の機関(FAO)から「模範農業者賞」を受賞した。農業、農村の価値や魅力について発信を続けている4児の母。
ブログ「o2farm’s blog」