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今回は、長野県佐久市でお米を栽培している「がんも農場」の黒田祐樹さんにお話を伺いました。
農園名/所在地 | がんも農場/長野県佐久市 |
栽培面積 | 680a |
栽培品目 | 水稲 |
販路 | 直販(飲食店、消費者)、小売店、直売所 |
家族構成 | 妻、子ども1人(妻とともに農業に従事) |
従業員数 | なし |
就農時の年齢 | 28歳 |
就農前|厳しい職場での経験と得た結論
食の世界を志して
黒田さんは埼玉県出身。大学時代は社会学を学びながら、永田農法の野菜を扱う会社で3年間アルバイトをしていました。元々持っていた食に対する関心は、野菜や農業への知識が増えるとともに高まり、大学卒業後は割ぽう料理店で板前の修業を始めました。しかし、想像以上に厳しく、兄弟子との関係がうまくいかず仕事を与えてもらえないなど人間関係も難しかったそうです。志した食の世界ではありましたが、長く続けることはできませんでした。映像作家のアシスタントに
割ぽう料理店を辞めた黒田さんは、著名な映像作家のアシスタントに採用されます。仕事の内容は秘書兼付き人で、スケジュール管理やさまざまな調整業務を任されていました。野心を持って就職したものの、仕事は盆や正月もないくらいの忙しさ。映像作家の先生が海外に行けば、時差により早朝や深夜の打ち合わせもたびたびありました。3年間続けたものの、働けば働くほど自分自身の生活が疲弊していき、次第に行き詰まりを感じるようになったと言います。大学卒業後に経験したこの二つの仕事を通して、黒田さんは一つの結論に達しました。黒田祐樹さん
誰かに仕えるのではなく、自分で仕事をして稼いでいくのがシンプルでストレスがないのではないかと思うようになりました。
兄とともに長野県に移住。農家を見学して情報収集
農業での独立を目指して
黒田さんは以前から持っていた食や農業への関心から、農業での独立を考えるようになりました。ちょうどそのころ、兄が仕事で独立を目指し、固定費の安さや生活の質の高さに魅力を感じた長野県への移住を検討していました。約1年間、日曜日になると兄と一緒に移住先や家を見て回り、空き家バンクで住居を見つけて2010年に二人そろって長野県佐久市に移住しました。長野県に移住するなら
アルバイトをしながら農家を見学
移住したものの、まだ農業を始める準備はできていなかった黒田さん。そのため、佐久市での生活はアルバイトをしながら、農家を見学して情報収集するというスタートでした。有機栽培で宅配を行う野菜農家やインターネットで情報発信をしている米農家など、さまざまな現場を見るうちに「自分で栽培するなら米がいい」と決断したといいます。黒田祐樹さん
当時は朝早く起きるのが苦手でした。野菜農家にアルバイトに行きましたが、集合時間が朝5時などで現場に切迫感もあって、しんどいなという思いがありました。その点、米は半年かけて栽培して1年かけて売るので、ムードが違いました。
長野県での就農情報はこちら
小売を実践している地元米農家のもとで研修
長野県の新規就農里親制度を活用
見学に訪れた米農家で研修を受けることを希望した黒田さんは、研修先と相談のうえ、長野県の新規就農里親制度の仕組みを活用することにしました。この研修は農業次世代人材投資事業の対象のため、研修生は国から資金を受けられます。そのため、里親となった農家は通常の従業員を雇うような給料を出さなくても、研修生は生活を維持できます。人手が必要としていた里親農家と研修生双方にとって、有効な方法でした。黒田祐樹さん
研修先に頼んで里親になってもらいました。里親研修制度を利用することで、市とのパイプができるなどのメリットもありました。
こうして黒田さんは里親農家のもとで3年間の研修を行いました。
地域に溶け込みながら農地と出会う
黒田さんは、消防団に参加するなど地域の活動に積極的に参加していました。その縁で、研修中から農地を借りることができたと言います。その後も毎年農地を貸してくれる人が現れました。黒田祐樹さん
最初は消防団のつながりで、研修先の近所にある休耕田だった田んぼを1枚だけ借りることができました。ありがたいことに、その後も住んでいる近所や借りた田んぼの近所など、何らかの関係性ができた地域の人から農地を貸してもらえています。若い子がお米作りやりたいと言っているよ、という近所の人たちの支えがあって、少しずつ少しずつ農地が広がっていきました。
農協が農地を紹介してくれたこともありましたが、ほかに公的なサービスを利用したことはありません。借りている田んぼの中には、1626年に市川五郎兵衛が開発した五郎兵衛新田もあります。その田んぼで栽培された米は、地域の直売所などに「五郎兵衛米」として出荷できます。
独立後|栽培した米を直販するスタイルを貫いて
アルバイトと農業を並行する生活
独立後の生活を「必要なお金を手に入れるだけで精一杯だった」と振り返る黒田さん。農業だけでは生活が成り立たず、農業とアルバイトを並行して行う生活が始まりました。黒田祐樹さん
ちゃんとした品質のものを作ってお金にするのは大変でした。最初から直販をしていたので、作る量と売る量が同じでなければ成り立たないのですが、作る絶対量が少なかったです。でも、最初から今の面積があったとしても売りきれなかったと思います。
アルバイトと農業を並行しながら続ける中で、顧客も栽培面積も少しずつ増え、結果的に現在の形になっていきました。
結婚して販売力が上がった!
黒田さんは、2015年に中学校の同級生だった紗貴子さんと結婚しました。結婚は仕事にも素晴らしい影響を与えました。黒田祐樹さん
結婚して販売力が上がりました。販売するときに必ず私たちの写真を同封しているので、家族で米を作るということに共感していただいて、購買のきっかけになっているのかもしれません。ありがたいことにお客様がどんどん増えていって、幸いにも生活ができています。
結婚により、紗貴子さんの知り合いにも販売できるようになったこともありますが、「見え方」というのが大きいと黒田さんは考えています。
アルバイトを辞めて農業だけで生活ができるようになったのは、独立して6年目のことでした。そして、今では就農1年目の10倍以上の売り上げを上げることができるようになりました。
直販の面白さは「お客様のリアクション」
現在、がんも農場の販売はそのほとんどが直販になっています。直販にこだわるのは、なぜなのでしょうか?黒田祐樹さん
お客様のリアクションが楽しいからです。直販だけではお米を販売し切れないときはいろいろなところに出荷しており、自分たちのお米がどこで誰に買っていただいているかわからない売り先もたくさんありました。そうすると面白味が減ってしまうんですよね。直販だと、お客様とのちょっとしたやりとりから情報を得られることがあります。
また、お付き合いをしているお米屋さんは年に1~2度、黒田さんの田んぼに来て、この田んぼの米がほしいと指定して注文してくれます。一般の方と違う視点からの助言は勉強になるし、張り合いにもなるそうです。
自分たちの米作りを伝えるために
デザインの力を使う
「がんも農場のお米」のパッケージはシックでスタイリッシュ。デザインにこだわりが感じられます。プロのデザイナーと相談しながら、トーンやフォント、素材について細部まで追求しています。黒田祐樹さん
一番大事にしていることは、「伝えること」です。デザインもその一つで、お客様が触れるものはできるだけ同じ雰囲気になるようにしています。米を作るのはもちろん大事なことですが、お客様に自分たちの米作りを伝えるというのが最大の仕事だと思っています。
思えば、最初の職場の割ぽう料理店では「作る」ということに妥協なく情熱を注いでいました。次の職場では、全体のプロデュースについての考え方や誰にでも伝わるような話し方、プレゼンの方法などを学びました。そのような経験がすべて今につながっています。
異なる視点を持ち寄って
デザインの部分においても、紗貴子さんの存在が大きな助けになっていると黒田さんは言います。黒田祐樹さん
妻は女性目線というのもわかりますし、私とは全然違う感性もあるので、お互いに意見を持ち寄って「この方がいいよね」といつも話し合っています。
また、がんも農場ではFacebook、Instagram、Twitter、LINEなどSNSを活用した情報発信も行い、米作りを伝えることを日々行っています。
お客様がおいしいと思うお米を作る
県外の先輩農家を訪ねて
黒田さんはおいしい米を作るための探求を続けています。本やインターネットなどで情報を集め、感銘を受けた農家のもとを訪ねて、話を聞くこともあります。黒田祐樹さん
農家によって、規模や米の作り方はさまざまです。規模や目指している方向性が同じ先輩農家に話を聞くとお互いに話がわかります。そういう人と良好な関係を作って、通ったり来ていただいたりということをしています。
収量よりもおいしさにこだわりたい
小規模で直販を行うがんも農場では、お客様においしいと思ってもらうことが何よりも大切。収量が採れるのは大前提ですが、収量のために食味を落とすことは避けたいと黒田さんはいいます。そのため、栽培では繊細な管理を行っています。黒田祐樹さん
一番気にしているのは肥料をあげ過ぎないことです。窒素が過多になると食味を落としてしまうので、そこは失敗したくない部分ですね。稲刈りのときにちゃんと肥料が切れて完熟することにこだわっています。
農業の魅力は「時間を自由に決められる」こと
早起きは苦手だったけれど
埼玉県から長野県に移住し、未経験の農業に携わるようになった黒田さんは、農業の魅力についてどのように感じているのでしょうか?黒田祐樹さん
私にとっては、時間を自由に決められるというのが最大の魅力だと思っています。以前働いていたときは、時間が自由にならないことが一番のストレスでした。以前は5時に起きるのも辛かったのに、今4時半に起きられるのは自分で決めているからです。結局、自分で決められることが一番重要なのだと思うようになりました。
販売量が増えるとともに
一方、長期の休みをとっての旅行などはなかなかしにくいという現実もあります。直売のため、販売量が増えるとともに発送などの作業量も増加。農閑期は発送を担当する紗貴子さんが忙しい季節になりました。黒田祐樹さん
販売する量が増えてきて、農閑期でも発送が止まりません。冬場は新米需要、お歳暮と続き、妻の方が忙しいです。そういうときは、私が家事を担当して仕事の配分をしていますが、うまくまとめないと休みは取りにくいですね。
家族と一緒に送る満ち足りた生活
家族で米作りをする温かさを伝えたい
黒田さんは以前から、がんも農場のバックオフィス業務を改善したいという思いがありました。一方で、家族で米作りをして直売するスタイルを貫く中で、ただ効率化するだけではいけないという気持ちもあります。黒田祐樹さん
お客様からどう見られるかという点に軸足を置いているので、オートメーション化してどんなに便利になったとしても、家族でやっている体温を感じられなくなってしまっては本末転倒だと思っています。お客様とのコミュニケーションをとりながら、どのように効率化するのがいいのかをこれからも検討していきたいと思っています。
バックヤード業務について悩みを持っていた黒田さんは、AGRI PICKで連載していた「久松達央さんのジツロク農業論【実践編】」の読者企画に目が留まりました。悩みを相談したい若手生産者のほ場へ久松さんが直接訪問またはオンライン上で、的確で鋭いアドバイスをするというものでした。
がんも農場が久松達央さんに経営相談をした記事はこちら
お客様が満足してくれるお米を作ること
最後に今後の展望について伺うと、黒田さんからは「今の規模を維持していきたい」という答えがありました。それは、乾燥機設備の導入や点在している田んぼの集約など、いくつか検討したい課題はあるものの、現状が十分満足できる状況になっていることを意味しています。黒田祐樹さん
今は満ち足りているなと思っているんですよ。今後もお客様が満足してくれるお米が作れればいいなと思っています。もしかしたら、そろそろ何か新しい夢が出てくるかもしれませんが…。毎年体力がなくなって負荷が大きくなっているなというのはあるので、これから規模を大きく広げるということはないと思います。その点でも今は岐路に立っているような気がするので、経営としてうまく着地するようにしていきたいですね。
縁のない長野県佐久市への移住、そして、アルバイトをしながら続けた農業。穏やかな口調からはとても想像できませんが、簡単な道ではなかったはずです。それでも、家族で農業をすること、顧客からの見え方を意識すること、顧客の満足する米をつくることを自分に課し、まっすぐに歩いてきた黒田さん。「ここまでになるとは思ってなかった」と言う現在の生活は、就農を志したときに描いた夢以上のものになっています。これからも長野県佐久市で、家族とともにおいしいお米を栽培して、顧客とのきずなを深めていくことでしょう。