今回は、バスクの彫刻家エドゥアルド・チリーダと、彼の作品を見ると考えさせられる環境との調和について勝手に言及します。
バスクといえば製鉄
スペイン全土にいえますが、1700年代時点ではバスク地方も農地改良が全くされておらず、農業は悲惨な状態でした。一方で製鉄については、古代から鉱山で鉄を採鉱しており、バスク地方では地縁や血縁に由来する古い製鉄場が数多く存在していました。また、バスク地方を経済的に支えていたのは通関税です。19世紀はじめまで、ビルバオがカスティーリャ地方(ブルゴスなどがある地域)から北部の外洋に抜けるルートをおさえており、通過する時に税金を徴収して富を得てきました。さらに、バスクを発展させたのが製鋼業です。これは泥炭層の下に良質な鉄鉱石があることが発見されたことに起因します。1800年代になると、スペインで製造される60%の鉄を作りだしましたが、そうなると労働力が不足するので、ほかの地域からの労働力流入が始まりました。
農村部の変容と独立運動
それまで、バスク地方では農村部とともに伝統的な地縁・血縁のつながりをベースに、経済も堅調に伸びていました。しかし、労働力の流入と産業の発展により、近代的なシステムがもたらされたゆえに発展がスピードアップし、バスクのシステムが置いてきぼりになってしまいました。農村部の人口が街へ流入したり、農村部から米国のアイダホ州やアルゼンチンへの移民も増えたりとバスクの社会構造が変化していきます。そこで生まれたのが、バスク独立運動ですが、語り出すと止まらなくなりそうなのでここでやめておきます。
エドゥアルド・チリーダとは
ようやく出ました、エドゥアルド・チリーダ(1924-2002)!チリーダは、バスク地方サンセバスチャン出身の彫刻家です。さまざまな素材を使って空間や原材料への興味を作品に込めました。チリーダの初期の作品は、人と自然界の間で揺れ動く「石」や「石こう」などの素材を使用していました。その後、石こうから「鉄」「木」「鋼」というバスクの伝統的な産業に由来する素材へ変更しました。
彼の美術館は、私が今まで訪問した中で一番といっていいほど、心を打たれました。屋外に、重さを感じるチリーダの作品が空間を構成するように並べられています。
チリーダの彫刻から自然との調和を見る
彼の作品の好きなところは、その裏にある「見えない」魅力です。例えば、岩にはめ込まれた作品は、鍛冶屋さんをはじめとしたたくさんの人が関わり、緻密な計算のもと内側などがしっかり留め具でとめられていますが、外側からは一切見えません。また、鉄や鋼の作品は、当然時間が経過すれば腐植します。しかし、彼は素材を研究しつくして、海沿いであっても極限まで腐植を低減できる素材の配合濃度を開発しました。
ただし、そんなストーリーを大げさに語ることは陳腐とさえいわんばかりに、彼の作品たちは、ただただそこにじっとたたずんでいます。まるで、ずっと前からその自然の中にいたようにさえ思えます。私たちが「自然」だと感じているものの中にも、ストーリーは語られなくても「見えない」ところで多くの人が関わり支えているものがあるのだろうかと思いをはせて。
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紀平真理子(きひらまりこ)プロフィール
1985年生まれ。大学ではスペイン・ラテンアメリカ哲学を専攻し、卒業後はコンタクトレンズメーカーにて国内、海外営業に携わる。2011年にオランダ アムステルダムに移住したことをきっかけに、農業界に足を踏み入れる。2013年より雑誌『農業経営者』、ジャガイモ専門誌『ポテカル』にて執筆を開始。『AGRI FACT』編集。取材活動と並行してオランダの大学院にて農村開発(農村部におけるコミュニケーション・イノベーション)を専攻し、修士号取得。2016年に帰国したのち、静岡県浜松市を拠点にmaru communicateを立ち上げ、農業・食コミュニケーターとして、農業関連事業サポートなどを行う。食の6次産業化プロデュ ーサーレベル3認定。日本政策金融公庫 農業経営アドバイザー試験合格。著書『FOOD&BABY世界の赤ちゃんとたべもの』
趣味は大相撲観戦と音楽。行ってみたい国はアルゼンチン、ブータン、ルワンダ、南アフリカ。
ウェブサイト:maru communicate