今回は、オランダ在住時代に市民農園でボランティアをしていたときの回顧禄です。現在、私が携わっている仕事をご存知の方には、驚きと笑いを提供できるかもしれないと期待を込めて、清水の舞台から飛び降りるつもり(?)で記します。なお、この話は2014年当時の状況で、市民農園にも変化があると思います。あくまでも、当時の私が実際に見た印象に基づく話であることをご留意ください。
オランダの市民農園でボランティア
アムステルダム市のあまり治安がよくない地域に、その市民農園(コミュニティガーデンともいわれています)はありました。オランダ語に加えて英語でも情報発信をしており、すてきな農園の写真やおもしろそうなワークショップと私にとって憧れの市民農園でした。思い切ってボランティアに応募し、採用される運びとなったときは小躍りしたものです。その農園は、家庭菜園程度の大きさで、超少量で多品目栽培をしていました。もちろん、自家製の有機肥料を用い、化学合成農薬は一切使用しません。種も自分たちでとり、種の交換会などに参加し、他地域の方々と交換しながら種をつなぎます。
私はボランティアとして、畑作業だけでなく、タイルを埋め込んで通路の整備をしたり、コンポストを作ったり、農園開放日の案内係などを担当しました。また、キノコの原木はまず浸水させることが必要なのですが、この農園では原木にひもをくくりつけ、川に下ろしてまた上げるという作業をしていました。この作業は大変だったので、鮮明な記憶として残っています。
ボランティアの報酬は、収穫した野菜と定期的に行われる勉強会です。そこで、パーマカルチャーの専門家(?)から指導を受けました。部屋で飼っていたミミズが、旅行中に逃げだして部屋のあらゆるところで干からびていたのもこの時代です。ちなみに、プラスチックケースにミミズとぬれた段ボール、ココヤシ殻、卵の殻とミミズのえさ(リンゴやバナナの皮)を入れて、3~4カ月経過すると立派な有機肥料(無農薬肥料と呼ばれていました)ができると試みていましたが、完成前にミミズたちが逃げ出してしまいました。
少しずつ違和感を覚えていく
順風満帆に見えたボランティア生活ですが、活動内容やそこにいる人たちに少しずつ「あれ?」と思うことが増えていきました。最初に断っておくと、主催者の方々もボランティアの方々もとても優しく、親切だったということは紛れもない事実です。多様なメンバー?
市民農園が設立された意図は、イスラム圏の方が多く住んでいる地域で「多様な地域住民との交流」を促したり、「コミュニティを形成」したりするためでした。しかし実際には、メンバーのほぼすべてが欧米の人で、それ以外は私を含めたアジア圏の人が2名のみでした。さらに、メンバーのほとんどが環境系もしくは人権系のNGO団体に所属していました。私は、日本の農業専門誌である『農業経営者』で、農業経営者に向けたコラムを書き始めていたのですが、完全に異色で、次第にビジネス向けの農業雑誌に寄稿していることを言いづらくなっていきました。
寛容とは何かわからなくなる
「人間と自然との調和を目指している」「自然や人にやさしく寛容に」というのが農園のモットーで、ボランティアとして参加している分には、みなさんにとてもよくしていただきました。一方、特定の農業資材や農業関係企業に対して、みなでデモ活動に参加したり、否定的な話をしたりしているのを耳にするたびに、「本当の寛容とは何だろう」とわからなくなってしまいました。結局、どうしてもデモには参加できませんでしたが、何ごとも経験なので、参加すればよかったと後悔しています。街中で農業を語る?
そのうちに、本業の取材などで少しずつオランダの農村部にも行く機会が増えてきました。それまで市民農園で耳にしていたオランダの大規模農家の話と、実際の大規模農家の話がかみ合っていないことに気づかないふりをしていましたが、なかなか苦しかったです。訪問した大規模農家は、収益を出した経営をしているだけではなく、環境配慮のために牛舎の改築をしたとか、土壌分析をして豚ふんたい肥と化成たい肥を最適量投入しているとか、市民が気にする環境対策への投資もしていました。「ここまでやっても、まだ言われちゃうんだな」と何ともいえない気持ちにもなりました。そして街で楽しく市民農園を運営することと、現実に農村部で農業経営をすることの違いに気づいてしまった瞬間でもありました。
市民農園と農業は切り離して考えたい
これらの違和感は、取材活動を進める中でどんどん大きくなっていき、わずか1年でボランティアをやめてしまいました。しかし、市民農園の活動自体は今でもすてきだと思っていますし、学んだことも多々あります。私の普段の活動からは信じられないと思われるかもしれませんが、実はこのような活動は好きなのです。ただ、これをきっかけに市民農園の活動は「農業」とは切り離して考えた方がよいと考えるようになりました。「市民農園でできるのだから、オランダの大規模農家も同じことをすべき」という主張はあまり賢明ではない気がします。市民農園のスケールを拡大したからといって、きちんと食料を供給する農業で生計を立てるということができるのだろうか?とか、さらにスケールが変われば、資材や作業内容も変わって当たり前だよね? とか。キノコの原木にひもをつけて川に入れる作業を何度も繰り返すのは、数本だからできましたが、数千本単位だったら確実に正気を失っていました。さらに、ヨーロッパの情報として、市民農園側の情報が日本に伝わっていることも多々見受けられるため、情報の受け手側としてもきちんと情報の出所を見極めないといけないと自分自身に言い聞かせています。
今回は、心の内の話なので照れくさいのですが、ずっとしまっておいた記憶を取り出せてうれしいです。そして、若き日の想い出を胸に、しっくりこない感じに目を向け続けるようにしたいです。
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紀平真理子(きひらまりこ)プロフィール
1985年生まれ。大学ではスペイン・ラテンアメリカ哲学を専攻し、卒業後はコンタクトレンズメーカーにて国内、海外営業に携わる。2011年にオランダ アムステルダムに移住したことをきっかけに、農業界に足を踏み入れる。2013年より雑誌『農業経営者』、ジャガイモ専門誌『ポテカル』にて執筆を開始。『AGRI FACT』編集。取材活動と並行してオランダの大学院にて農村開発(農村部におけるコミュニケーション・イノベーション)を専攻し、修士号取得。2016年に帰国したのち、静岡県浜松市を拠点にmaru communicateを立ち上げ、農業・食コミュニケーターとして、農業関連事業サポートなどを行う。食の6次産業化プロデュ ーサーレベル3認定。日本政策金融公庫 農業経営アドバイザー試験合格。著書『FOOD&BABY世界の赤ちゃんとたべもの』
趣味は大相撲観戦と音楽。行ってみたい国はアルゼンチン、ブータン、ルワンダ、南アフリカ。
ウェブサイト:maru communicate