- AGRI PICK 編集部
AGRI PICKの運営・編集スタッフ。農業者や家庭菜園・ガーデニングを楽しむ方に向けて、栽培のコツや便利な農作業グッズなどのお役立ち情報を配信しています。これから農業を始めたい・学びたい方に向けた、栽培の基礎知識や、農業の求人・就農に関する情報も。…続きを読む
語り手(右):奥原 正明 氏
1955年生まれ。東京大学法学部卒後、1979年農林水産省入省。食糧庁計画流通部計画課長、経営局農業協同組合課長、同局金融調整課長、消費・安全局総務課長、大臣官房秘書課長、総合食料局食糧部長、水産庁漁政部長、農林水産技術会議事務局長、消費・安全局長、経営局長を経て2016年6月農林水産事務次官に就任。2018年7月農林水産省を退官。現在は、公益社団法人日本農業法人協会顧問のほか、農業関連のIT・AI企業や農業法人の顧問、コンサルティング等を行い、日本農業の発展に尽力し続けている。
聞き手(左):熊本 伊織(アグリコネクト株式会社 代表取締役CEO)
1978年生まれ。大阪府立大学卒業後、2001年松下電工(現パナソニック)入社。船井総合研究所に転職した後に農業ビジネスコンサルティングサービスを確立、2013年にアグリコネクト株式会社を創業し現職。農業界の経営者育成、企業の農業参入コンサルティング、自治体地方活性コンサルティング等を手がける。
2018年7月に農林水産省を退官された前農林水産省事務次官 奥原正明氏が2019年7月、著書『農政改革 行政官の仕事と責任』(日本経済新聞出版社)を出版。
AGRI PICKでは行政官として数々な農政改革や、次世代を担う農業者や行政官の育成に携わった前農林水産省事務次官・奥原氏とアグリコネクト株式会社代表・熊本の対談を全4回にわたって配信。今回は取り組まれた農政改革の背景や趣旨、そしてこれから農業界が向かうべき方向性や農業者への期待について語っていただきました。
社会が変われば政策も変わるべき
20年後、30年後の日本を見据える
熊本 本日はよろしくお願いします。まずは、奥原さんが東大法学部から農林水産省に入られたキャリアについてお聞かせください。農業に関心を持ち、農林水産省を志した経緯はどういうものだったのでしょうか。奥原 私は生まれも育ちも東京で、農業とは直接の関係がありませんでした。法学部に入った時は当時の社会問題であった公害に強い関心を持っていて、弁護士になり公害訴訟を担当して環境問題を解決したいと考えていました。しかし在学中に公害訴訟が解決してしまい、自分は何をしようかと考え直した時に、公務員というキャリアも一つの選択肢になりました。
奥原 新卒で役所に入ってもすぐに何かを変えられるわけではないので、将来自分が責任者となって仕事ができる20年、30年先に、日本では何が問題になっているのだろうかと考えました。人口問題によって年金と食料が今後の課題になるだろうと思ったので、年金を担当する厚生労働省と食料を担当する農林水産省を回りました。
熊本 その2つの省から農林水産省に決められたのはどういうお考えでしたか。
奥原 当時農林水産省では、食糧管理法や減反政策など、米が余っているのに米を国が全量管理し、しかも国が買う米の値段を上げるという、経済原理から考えて筋の通らないことをやっていると思いました。ほかにも課題が山積しているように感じ、何とかしなければと農林水産省を選びました。
熊本 入省当時からそのような志をもっていらっしゃったのですか。恐れ入ります。
西ドイツにて原点に返る
熊本 著書の冒頭、「入省して10年が経過した頃に在西ドイツ日本大使館に赴任して入省時の原点に立ち返ったことが、農政改革のきっかけになっている」とありますが、この原点というのは入省当時の志のことかと。立ち返った背景や、当時のお考えをお聞かせください。奥原 農林水産省に入ってから10年も経つと組織になじんでしまい、意識しないうちに、問題を解決したいというよりも仕事はこういうものだ、世の中はこういうものだ、と現状を受け入れる考えになってしまっていました。
そんな頃に西ドイツに赴任し、ベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツ統一というのを目の当たりにしました。統一プロセスの中で私は東西ドイツそれぞれの農業を見ました。東側では、農業は儲からないと不平不満を言いながら何も変えようとせず、毎年同じように言われた農作業をやっている。一方で、西側の農業経営者は自分の創意工夫で自由に経営をして、将来の構想を語っていました。
日本の農業はどちらに近いのか、と考えると明らかに東ドイツに似ていました。農業を発展させるためには東ドイツのやり方ではダメで、西ドイツのような自由な農業経営をやれる環境を作らなければならない、と思いました。このドイツでの経験が、転機でした。
これからの農業の発展とは
経営者意識を持つこと
熊本 転機があり、その後西ドイツのような、農業者が自由に経営できる環境の整備を目指して改革を進めて来られたということですね。農業政策を進めるうえで、奥原さんほど現場の農業者と対話されてきた方は官僚トップの方々では非常に少ないと思います。奥原さん自身、色々な農業者の方と本音で対話をされてきて、西ドイツ的な自由な経営を行える、経営発展させることができる農業者に共通するところはありますか。奥原 それは経営者としての意識があるかどうかに尽きますよね。
経営者であれば、販売の仕方をどうするかを必死で考える。自分の商品のニーズがどこにあるか、もっと売るにはどうすればいいかを自ら常に考えて、販路を切り拓く。コストにしても、各種の資材や農機の価格、仕入れ先について、真剣に考えるわけです。「売上を上げること」と「経費を抑えること」、この2つをどれだけ真剣に考えて実践しているか、が経営者の意識です。農協から資材を買い、農協に出荷するのだってもちろんいいのです。ですが、経営者として多くの選択肢を見て、比較して、何が有利かをよく考えて、経営判断としてやっているかどうかが重要であると思います。日本は、まだ多くの農業者が作業員的に農業をやっているように思います。
人材採用も経営者のビジョン次第
熊本 経営者としての意識は、農業者によってかなり差があると思います。例えば今、農業現場では労働力が不足しているという課題がありますが、人材の採用や教育についても、経営者の意識によって直面する問題が違うと感じます。奥原 人の問題も経営者のビジョン次第ですね。経営者が人材を単なる労働力として使うという意識では、未来の会社や農業界を担う若者はついてこない。経営者としてビジョンを明確にし、共有して、ここで農業をすれば自分の能力が発揮できて、こんなに夢のある仕事ができるという若者の未来を示すこと。これが経営の発展、ひいては農業の発展につながっていきます。
農業政策が目指すもの
20年先の農業を見据えた農政改革
熊本 奥原さんが今まで会われてきた中で、どのくらいの農業者が自らのビジョンや経営計画をしっかりと持たれていましたか。奥原 数で言ったら、経営者という自覚のある農業者はまだ多くはないかもしれませんが、着実に増えていると思いますよ。現状では数が少ないとしても、こうした農業者が自由に経営できる政策が重要です。10年、20年先の農業を、いったい誰が引っ張っていくのか。それを考えて、その人たちがやりやすい環境を作ることが、農業政策の役割であり、農業の発展の道です。
皆が今までと同じようにやっていては産業は崩壊してしまう。新しいことにチャレンジをした農業者がシェアを拡大する。中には高齢化に伴ってリタイアする人もいて、新陳代謝が必ずあるわけです。それが産業の発展ということです。そのことを恐れてはいけない。伸びるべき人が伸びていくことで農業が産業として成長していくのです。
スーパーL資金が自由な経営を活性化させる
熊本 農業経営者が自由に経営できるように、という方向性に向かって農業界の金融を改革されました。その一つがスーパーL資金ですが、背景を教えていただけますか。奥原 ほとんどその本に書いてあるんですけどね(笑)。
まず、補助金は本当に必要な時にもらえるとは限りません。しかも、補助金をもらうためにはいろいろな要件をクリアしなければなりません。融資についても、当時は補助金と同じような仕組みで、使いにくく、資金種類がたくさんあり、しかもそれぞれに融資対象となる機械・施設が細かく決められていました。これでは、自由な経営の支援になっていないと思ったのです。
西ドイツのように自由な経営を伸ばしていくために、一番使いやすい資金制度を作ろうと思いました。認定農家になりさえすれば、自由に使える一番条件のいい融資を作る、という構想です。とはいえ借金なので、当然自分で返すことを考えなければならない。そのために農家には経営判断が必要になるわけです。農家自身の経営判断を前提に、良い条件で資金を借りて経営を拡大する。そのための使いやすい資金制度がスーパーL資金です。
熊本 補助金では経営判断が育たないと。
奥原 そうです。借金であれば当然、機械も資材もできるだけ安く買おうとするでしょう。ところが補助金が出るとなると割高に設定された金額でも買ってしまう。これは経営判断としておかしいわけです。融資にしても、農協から融資を受けると、資材購入も農協からということになり、結局割高なものを買わされてしまうというケースもよく聞かれました。この話は、農協改革の話にもつながります。
農協は農家のための組織に立ち返る改革を
熊本 農協改革については、著書でも経緯や想いについて80ページ以上にわたって語られています。著書から新しく知れたことの一つは、奥原さんが農協の構造を何とかしようとされた農協改革の根底には「農協をより良い組織にする」ということがあった点です。これまでは「農協をやっつけようとしている」という視点だけで世間が騒いでいましたから、農協をより良くするお考えが根底にあったというのは意外でした(笑)。奥原 一部の団体や業界紙が、取材もせずにレッテルを貼って、事実と違うことを宣伝してきたということだと思います。
農協にはこれだけの資金力と組織力があるわけですから、今の経済・社会の状況や今後の方向を踏まえて仕事の仕方を工夫すれば、日本農業の発展に本当に役に立つことができるはずだし、日本の経済界を振り回すくらいのことができるはずなのに、もったいないと思うのです。
地銀やメガバンクの状況を見れば、金融が斜陽産業であるのは明らかです。ですから、金融事業に依存するのでなく本来の役割である農産物の販売にしっかり取り組んで、農業者メリットを大きくしていくことが必要なのです。
熊本 販路開拓ができる組織になるために、どのような変革が必要だとお考えですか。
奥原 販売というのは自ら実需者(顧客)を見つけて、その顧客のニーズに合うものを生産して納めていく仕事。そのための販売努力ができているかどうか。農産物を集荷して中間流通に渡すのは集出荷であっても販売ではありません。農協職員が実需者との関係を地道に構築していくことが重要ですし、今はITを活用する方法もあります。
熊本 自ら考えて動かなければならない、というのは農家も農協も同じだということですね。私自身も、経営者として非常に勉強になるお話で目から鱗です。
次回は農業への参入をテーマに、新規就農や企業の農業参入についての話をご紹介します。