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ライター - 神山 朋香
大学卒業後、地方公務員として消費者教育や労働福祉の普及事業に従事した後、AGRI PICK編集部に。AGRI PICKでは、新規就農に役立つ情報などを執筆しています。…続きを読む

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時期により仕事量が変化することの多い農業。忙しい時期に誰かの手を借りたくて、アルバイトを雇用したり、知り合いに手伝いにきてもらったりすることがあるかもしれません。人を雇うときには、雇用者として生じる責任や労働保険について考える必要があります。ここでは、社会保険労務士の橋本先生にお話を伺いながら、労働保険と雇用者の責任についてお伝えします。
教えてくれたのは|社会保険労務士 橋本將詞先生

写真提供:橋本將詞先生
プロフィール
2001年に橋本將詞社会保険労務士事務所を開業。農業労務管理、就業条件の作成、労働時間管理、事業継承など農業経営を人事面からサポート。2010年には、特定農作業従事者団体 京都農業有志の会を設立。
https://www.sr-hasimoto.com/
社会保険制度は大きく「社会保険」と「労働保険」に分かれている

図:AGRI PICK編集部
社会保険制度は大きく「社会保険」と「労働保険」に分けられます。
社会保険は「医療」「年金」保険
社会保険は、健康保険と年金制度などからなり、病気やけが、老齢などの際に、経済的な補償がされる制度です。
社会保険についてはこちら
労働保険は経営者が加入する「雇用」「労災」保険
労働保険は、雇用保険と労働者災害補償保険(労災保険)の総称で、労働者を雇用している経営者が加入する制度です。
人を雇用したら、労働保険の手続きをしっかりと行いましょう。
「雇用保険」は失業保険だけではない!社会全体を安定させる役割を担う

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雇用保険は「求職」というインフラを支えている
労働保険のうち、「雇用保険」は、失業保険や職業訓練、育児休業給付、雇用安定事業、労働者の能力の開発事業などを行う雇用に関する総合的な機能を持った制度です。
雇用保険というと失業保険というイメージが強いかもしれませんが、雇用保険には雇用を通じて社会全体を安定させるという狙いもあり、例えば、新型コロナウイルスに関連した雇用調整助成金も雇用保険の制度になっています。単純に労働者のためだけの保険ではなく、求職というインフラを大きく支えているといえます。
雇用保険の加入は義務?
農業は労働者が常時5人未満なら「暫定任意適用」となる
雇用保険は、労働者を雇用する事業は原則として強制的に適用される保険です。農業の場合は、法人と常時5人以上を雇用する個人事業主(個人経営)は適用されますが、
個人事業主で労働者が常時5人未満であれば、暫定任意適用事業になります。
労働保険の保険料の徴収等に関する法律 附則(抜粋)
(雇用保険に係る保険関係の成立に関する暫定措置)
第二条 雇用保険法附則第二条第一項の任意適用事業(以下この条及び次条において「雇用保険暫定任意適用事業」という。)の事業主については、その者が雇用保険の加入の申請をし、厚生労働大臣の認可があつた日に、その事業につき第四条に規定する雇用保険に係る保険関係が成立する。
2 前項の申請は、その事業に使用される労働者の二分の一以上の同意を得なければ行うことができない。
3 雇用保険暫定任意適用事業の事業主は、その事業に使用される労働者の二分の一以上が希望するときは、第一項の申請をしなければならない。
4 雇用保険法第五条第一項の適用事業に該当する事業が雇用保険暫定任意適用事業に該当するに至つたときは、その翌日に、その事業につき第一項の認可があつたものとみなす。
雇用保険の加入の条件、雇用保険料率は?
雇用保険の加入手続はハローワークの窓口で行います。加入には要件があり、雇用形態や事業主や労働者の加入希望の有無にかかわらず、該当すれば加入する必要があります。
雇用保険の加入要件
1. 1週間の所定労働時間が20時間以上であること
2. 31日以上の雇用見込みがあること
農業の雇用保険料率は11/1,000(2021年度)で、そのうち従業員負担が4/1,000、事業主負担が7/1,000となっています。保険料率は毎年決定されるので、厚生労働省ウェブサイトなどを確認しましょう。
厚生労働省|「雇用保険料率について」家族経営の場合はどうなりますか?
家族は経営者という位置付けなので、家族だけで経営している場合には、原則として雇用保険には加入できません。ただし、ほかに雇用している労働者がいて、その労働者と同様に労務管理している場合には、加入できます。
最も大切なのは「労災保険」その理由は?

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次に「労災保険」についてです。橋本先生は、農家にとって一番大切なのは労災保険だと言います。
農業は農作業中の事故が多い業種です。死亡事故も多く、年間約300人が命を落としています。死亡事故が多いということは、亡くなる手前のけがも多いはずです。一般的に個人経営の農家が加入する国民健康保険は業務上のけがの治療費も補償するため労災保険の加入が進まない面もあるのですが、労災保険は障害年金、遺族年金などの補償もあります。農家の皆さんには労災保険の重要性を認識してもらいたいです。
※社会保険の種類によって業務上のけが・疾病の治療費の扱いが異なります。
健康保険→業務上のけが・疾病の治療費は補償対象外
国民健康保険→業務上のけが・疾病の治療費も補償対象
農作業中の事故についてはこちら
注意すべきは労働者が5人未満の個人事業主|労災保険の加入は義務?
農業の場合、労災保険は法人と常時5人以上を雇用する個人事業主(個人経営)は強制的に適用されますが、
労働者が常時5人未満であれば、暫定任意適用事業になります。
労働者が5人未満であれば、労災保険に加入しなくていいのですか?
確かに、農業において労働者が5人未満で個人事業主の場合には、労災保険に加入してもしなくても、どちらでもいいことになっています。午前中だけ近所の人に来てもらっているケースなど、労災保険に加入するという意識はあまりないかもしれません。しかし、実はそのようなケースが一番怖い。農業は事故が多い業種ですし、作業に慣れていない人はけがや熱中症のリスクが高いです。これは安全意識の問題でもあります。事業主としての責任を果たすために労災保険には必ず加入すべきです。
事業主としての責任とはどのようなものですか?
労働基準法の第八章に災害補償という項目があり、その中で、労働者が業務上負傷したり疾病した場合には、使用者が療養などの費用を負担しなければならないと定められています。ただし、使用者が負担する費用について、労災保険からの給付がある場合には、使用者はその分の費用の負担をしなくてもよいのです。つまり、労災保険は事業主のための保険なのです。
一人でも雇用したら労災保険に加入した方がいいですね。手続きや保険料率について教えてください。
労働基準監督署で、すぐに加入できます。手続きは1年に1回でいいですし、従業員の雇用や退職についての届け出の必要もなく、全体としての賃金の支払見込額がわかればよいです。そこに保険料率(2021年度農業の場合:13/1,000)をかけたものが保険料になります。
雇用するときは労務管理をしっかりと

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雇用者に求められる労務管理とは
雇用したら、労務管理をしっかりと行うことが重要です。きちんとした労務管理をしていないと、労災保険を速やかに受給できないことがあります。
労務管理とは具体的にどのようなことをしたらよいでしょうか?
まずは、時間の管理をきっちりして、それに応じた賃金をしっかり払うということですね。近所の人に仕事を頼んだら、朝早い時間に知らない間に来てやっていたというのでは困ります。従業員が何時に来て、何時に帰ったということは会社としてしっかり記録しておく必要があります。
そのほか、雇用時に注意することはありますか?
災害が発生しないように、研修を実施したり、機械の使い方を教えたりすることは重要です。また、温度の高いハウス内などで水分補給をしているか、適切に休憩をとっているかなど、働き方や労働環境が安全であることを確認しておきましょう。また、私は農家の皆さんに、朝礼は必ず行うようにとアドバイスしています。もしかすると寝ないで職場に来ている人がいるかもしれません。従業員の体調を確認するのも事業主の役割です。
労働災害を防ぐために参考になるマニュアルなどはありますか?
農林水産省が「農作業安全のための指針」を公表しています。この指針の重要な部分を朝礼で読み合わせるだけでも意識が変わってくると思いますよ。
社会保険の手続きや労務管理は不慣れな人も多そうです。社会保険労務士に依頼できることはどのようなことがありますか?
社会保険労務士の仕事は、「人」に関することについてほとんど全部といえるほど幅広いものです。社会保険や給与計算などの手続きもありますが、就業規則や条件を策定したり、賃金制度、評価制度、年次有給休暇の取り方などの会社のルールを決めたりします。また、入社した人に受講させる研修のアドバイスをしたりすることもあります。
従業員を雇用していない農家は労災保険の特別加入を

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労災保険は経営者が加入する「事業主のための保険」です。そのため、人を雇用しない場合は労災保険に加入する必要はありませんが、農作業中の災害を補償するために、
労災保険は農業者のための特別加入制度を設けており、家族経営の場合でも、事業主とその家族が加入することができます。加入は、農協など地域の特別加入団体から行います。特別加入団体の一覧は厚生労働省ウェブサイトに掲載されていますので、参考にしてください。
厚生労働省ウェブサイト「労災保険への特別加入」 厚生労働省ウェブサイト「農業者のための特別加入制度について」 農林水産省ウェブサイト「農業者のための労災保険の特別加入制度」事業主と従業員がともに安心して働ける環境を整えよう

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繁忙期にアルバイトを雇ったり、忙しい時間だけ知り合いにパートに来てもらうような場合は、使用者になったという意識を持ちにくいかもしれません。でも、一人でも人を雇えばその時点で使用者としての責任が生じます。橋本先生の「労災保険は事業主のための保険」という言葉にあるように、労災保険の加入としっかりした労務管理は、自分の身を守ることにつながります。
社会保険、労働保険ともに、国が備える公的なセーフティネットです。必要な手続きを忘れずに行い、自分も従業員も安心して働けるような環境を整えておきましょう。