- ライター
- 紀平 真理子
オランダ大学院にて、開発学(農村部におけるイノベーション・コミュニケーション専攻)修士卒業。農業・食コミュニケーターとして、農業関連事業サポートやイベントコーディネートなどを行うmaru communicate代表。
食の6次産業化プロデュ ーサーレベル3認定。日本政策金融公庫農業経営アドバイザー試験合格。
農業専門誌など、他メディアでも執筆中。…続きを読む
写真提供:久松達央
【新規就農者や、すでに営農しているもののつまずいてしまっている人へ】
株式会社久松農園 久松達央さんによる、豊かな農業者になるためのメッセージを伝える連載。第5回は、就農準備段階での「研修」について、久松さんの研修時代の弟子視点から語り、第6回は従業員の育成という師匠視点から苦労をさらけ出してもらいました。
今回は、作業マニュアルの作成についてです。久松さんがマニュアルを作成した経緯や失敗談をもとに、作業マニュアルとはどんなもので、どのように作るのかなどとことん解説してもらいました。現在の久松農園での取組みも合わせて紹介します。
写真提供:紀平真理子
プロフィール
株式会社 久松農園 代表 久松達央(ひさまつ たつおう)
1970年茨城県生まれ。1994年慶應義塾大学経済学部卒業後、帝人株式会社を経て、1998年に茨城県土浦市で脱サラ就農。年間100種類以上の野菜を有機栽培し、個人消費者や飲食店に直接販売。補助金や大組織に頼らない「小さくて強い農業」を模索している。さらに、他農場の経営サポートや自治体と連携した人材育成も行っている。著書に『キレイゴトぬきの農業論』(新潮新書)、『小さくて強い農業をつくる』(晶文社)
農業におけるマニュアルとは
写真提供:久松達央
マニュアルは、本来、業務のノウハウと業務全体の方向をひとつにまとめたもので、マニュアルによって業務がスムーズに進むと作業効率や生産性を高めることができます。そのため、マニュアルには詳細に作業手順が記載されるというよりも、業務を円滑に進めるための全体視点での基準や業務プロセス、注意点などがまとめられています。一方、手順書や作業指示書とは、作業の工程など一つずつの作業の進め方について記載されたものです。
マニュアルに求められるものは経営内容によって異なりますが、今回は、入れ替わるメンバーで、複雑な露地での多品目・有機栽培に取り組んでいる久松農園のマニュアルについての考え方を聞きました。
久松さんがマニュアルを作成したきっかけは?
写真提供:久松達央
新規就農時は一人で試行錯誤しながら営農をしていた久松さんですが、新規就農を希望する研修生(以下研修生)の受け入れと従業員(パート従業員、正社員含む)の雇用をきっかけに、一緒に働く人たちに作業を理解してもらうためにマニュアルを作成しました。熱い気持ちでマニュアルづくりに着手して作業指示を出していた久松さんの思いとは裏腹に、うまくいかないこともあったそうです。そこには、どのような落とし穴があったのでしょうか。
細部にこだわり大きな視点が持てなかった
久松さんがマニュアルを作ったのは、いつどんなきっかけですか。
人を雇用し始めたことがきっかけでマニュアルの作成を始めました。一緒に働いてくれる人に教えるためだと意気込んで、作業の一個一個を忠実に再現してもらうことに、とにかく夢中になっていました。
具体的にはどのような指示をしていたのでしょうか。
「この時期になったら、これをして」とか「ダイコンを何cm間隔で播種(はしゅ)して」とか「鎌はこの角度で」とか、詳細に作業の内容を指示していました。従業員も僕も全体感を持てない中で、細かい作業内容ばかりをあれやこれやと言っていました。マニュアルというより手順書でしたね。
従業員や研修生はできるようになりましたか。
作業はできるようになりましたが、彼らは何をやらされているのかわかっていなかったように思います。うまくいかなかったですね。
うまくいかなかった理由は何だと思いますか。
従業員を「命令して自分が思うように動いてもらう相手」だと捉えてしまっていたので、自分と同じやり方を求めてしまって、その再現の度合いがいいか悪いかで判断してしまったからです。
目的は共有してアプローチは自由に
うまくいかない中で気づいたことや変更したことは何ですか。
まず、自分自身が全体的なスケジュールやほかの作業との兼ね合いを考えるようになりました。そこから、一つずつの作業の目的や意味を理解していきました。従業員に対しても「細かい作業指示」ではなくて、「作業をする目的」の方を伝えて、それを実現するためのアプローチはそれぞれでいいと考えるようになりました。そうすると、従業員の方からも新しい手段やアイディアが出るんですよ。主体的に取り組んでくれるようになりました。
マニュアルというと細かい作業指示が書いてあるイメージでした。
「マニュアル」は、作業の大きな目的を従業員が参照する参考書のようなものだと捉えています。それを実現する「作業指示書」は、設備や全体状況によって変わるので、そのとき、その人に合わせた手順の一つに過ぎません。大きな目的なしに、作業の手順だけ参照する形を作ってしまうと、ほかの人は上手にできるかもしれないやり方の選択肢を減らしてしまうことになりかねません。
マニュアルは常に更新される参考書
写真提供:久松達央
過去の苦い経験をふまえて、久松さんは今ではマニュアルについてどのように考えているのでしょうか。さらに踏み込んで話を聞きました。
マニュアルはそこに向かう姿勢が大事
過去の経験をふまえて、マニュアルとはどのようなものだと考えていますか。
マニュアルは、より良くモノを創造するためのガイドだと思っています。マニュアルというより、チームの仲間と一緒に考えて同じ気持ちで取り組んでもらうときに使う参考書といった方がしっくりくるかもしれません。
では、記録もいらないということですか。
記録はとても大事!記録がないと検証ができないからです。いろいろ考えて、何か一つを選択しますが、それがよかったのか、悪かったのかは後からわかることです。淡々と事実を残すことは、最も重要な仕事!久松農園の作業記録は1年間で7,000行を超えるんですよ。
どのように記録を次の作業に反映させるのですか。
過去の記録をそのまま再現するのではなく、作業の目的と照らし合わせてよりよい方策を考えます。新しい知見もたまるし、道具や設備も変わっていきます。それに合わせて、作業の段取りも更新して、今年は今年のベストの到達点を目指します。段取りを固定してはいけません。
固定することで起こりうることは何ですか。
例えば、作業に対して使う道具を事細かにマニュアルに書き込むと、それ以外の道具を検討しなくなりますよね。ほかの方法に目を向けず、改善の余地を考えないまま、同じことを繰り返してしまうとしたら問題です。
固定しないのであればマニュアルを作る必要がないのでは。
マニュアルは、作る過程に真実があるんですよ。GAP(農業生産工程管理)もそうですが、そのものの善し悪しではなく、GAPに取り組んだり、申請したりする過程で発見がありますよね。それこそが、マニュアルを作る意味だと思います。やり方を守らせるためだけのマニュアルなら、あまり価値はないような気がします。
マニュアルではなく経営理念の話のようにも思えますね。
「神は細部に宿る」といいます。経営理念というのは単なるキャッチフレーズではなく、日々のこまやかな仕事の中に宿っているべきものです。大きなキャッチフレーズはあっていいと思いますが、抽象度が高いものを表現したキャッチフレーズと、それを具現化したマニュアルを常に行き来しながら農園は進んでいきます。経営理念とマニュアルは表裏一体です(下記参照)。
久松流|経営理念とマニュアルとは
経営理念:抽象度が高い/言語化・数値化しにくい/ハイコンテクスト(言葉に表現されないこともある)
マニュアル:抽象度が低い/言語化・数値化しやすい/ローコンテクスト(伝達される情報は、すべて言葉の中にある)
具体例を教えてください。
例えば、「おいしい野菜を届けたい」という大きな理念に対して、それを実現するために、「おいしい野菜」って何?調整はどこまでする?収穫適期は?などすべての作業内容にはマニュアルが存在します。僕は、一つひとつのマニュアルにも理念が宿っているべきだと考えています。
マニュアル(仮)を作ろう
写真提供:久松達央
マニュアルや手順が書いてあるテキストなどを参照することは必要なのでしょうか。
この話を聞いて、「じゃあ作業マニュアルを作成しないし、参照もしない」と思う人もいるかもしれませんが、それは違います。例えば、ジャガイモの覆土は7cmと作業マニュアルには書いてありますが、なぜ、7cmか考えたことはありますか。土の浅いところは地温が高い、でも浅過ぎると土が風で飛ばされた時に露出してしまいます。つまり「露出しない程度に浅い方がいい」というのが解で、それが7cm程度です。やみくもに暗記や暗唱するものではありませんが、まずは標準作業を知ることは大事です。
標準作業を知ったうえで、そのあとは勘に頼るのでしょうか。
適当にやると、PDCAが回せなくなります。元が適当だと、どの失敗例に当たるかがわからない。検証するためには記録が大切です。先ほどの覆土の例でいえば、意味がわかっていたら失敗してもいいし、意味がわかっていない成功に価値はありません。
どのような形のマニュアルならいいのでしょうか。
マニュアル(仮)を作成するのは、とてもいいと思いますよ。「今年はこれでやろうね」というものです。マニュアルは作り込んでしまうと、完成がゴールになってしまって、そのまま使い続けてしまいます。なぜ、そのやり方をマニュアルを採用したんだっけ?と考えることは大事。
マニュアル(仮)のよい点は何でしょうか。
マニュアル(仮)があると、農園のノウハウを取り出すことができるので、いろいろなタイプの人の力を借りられます。さらに、新しくきた人がマニュアルに書き足してくれるので、それらが農園に蓄積していきますし、マニュアル(仮)を更新し続けられます。これを積み重ねていくことで、従業員が入れ替わっても、経営が継続できます。
ユニバーサルな考え方ですね。
ユニバーサルという考え方は、一番不慣れな人に合わせてレベルを落とすのではなく、「いろいろな人が使えるやり方がいいよね」という考え方。こちら側が工夫する必要があるし、いろいろな人がやって来ると、農園や経営としても幅が広がります。
現在の久松農園のマニュアル作成は?
写真提供:久松達央
最後に、現在の久松農園ではどのようにマニュアル作成に取り組んでいるのでしょうか。もっといえば、新人が入社したときには、誰がどんな方法で作業を指示し、教えているのでしょうか。ここに、マニュアル作成の極意が隠されています。
作業の理由に立ち返るための補助資料
現在の久松農園でのマニュアルや作業指示の方法を教えてください。
一例ですが、出荷のパートさんに「外葉はどこまで取りますか?」と聞かれた場合、外葉を取る理由を話します。その目的をわかってもらえれば、正直なところ僕は取っても取らなくてもどちらでもいいです。パートさんももちろんチームメンバーなので、僕がゴールを持っていて、従ってもらう必要はありません。とことん話し合います。その中で、「じゃあ、黄色の葉だけ取りましょう」と仮に決まったとしても、目的をわかって行動している場合と、そうではない場合では出てくるモノの違いや、仕事への取り組み方が違います。
仮に決めたマニュアルはどのようなときに変えるのでしょうか。
「黄色の葉を取りましょう」などと仮にマニュアルを決めますが、もし黄色の葉を多く取ったらほとんどなくなってしまうのであれば、「そもそも何で外の葉を取るんだっけ?」と立ち戻って考え、必要があれば変更します。言語や数字などのマニュアルは、補助資料的に使っています。
現場は混乱しないのですか。
しますね。先ほどからいろいろ言っていますが、もちろん具体的に落とし込むことも必要です。パートさんなどからは、「言ってることはわかるけど、今日はホウレンソウを何グラム入れるか決めてください」と言われることもあります。そのときは、「じゃあ、今日のこの荷姿のホウレンソウなら250g入れよう」と決めます。これは、「お客さんにたっぷり食べてもらいたい」という思いが先にあって、荷姿によっては、250という数字が「たっぷり」ではない場合があるので、数字はあくまでもその日の仮です。
規格のない消費者直販ならではのお話かもしれませんね。
そうですね。僕たちは、規格に寄せていないので、そもそも「大きい」「小さい」って何だろうというところから考えなくてはいけません。
経験の浅い人がマニュアルを作る
新人が入社したときはどうしているのでしょうか。
作業にもよりますが、経験が浅い人が中心になって教えます。一日体験者も含めた新しい人には、メモのように自分でマニュアルを作ってもらいます。それを繰り返すと、初心者はどこがわからないのかがわかります。つまり、教えるポイントがわかります。
新人が作るマニュアルについてもう少し教えてください。
作業に慣れていない新人がマニュアルを作ると、初めて見る道具を使った作業をどのように受け取ったのかがわかります。つまり、新人がどのように農園の理念を受け取って、どう表現するのかがわかります。新人が出してくるマニュアルこそがその時点の農園の実力のような気がして、毎回通信簿を受け取る気分です。こちら側の伝え方における不足部分も見えます。フレッシュな目を大事にしたい!
久松提言|マニュアルは一連のプロセスの集合体
理念(作業の目的など)を新人に伝える→新人が解釈する→新人が行動する→その結果や、新人が作成したマニュアルを見て「なるほど」と思う→農園のマニュアルに書き足す。この一連のプロセスこそがマニュアル!
抽象度が高い作業指示が多そうですが、新人が作業を習得するまでに時間がかかってしまわないのですか。
それが、そうではないんです。僕がかつて教えた子は、作業がある程度できるようになるまでに、10の時間がかかったのですが、次の人はその半分の時間、その次の人はさらに半分、一番最近入社した人は、1.25の時間でできるようになったんです。つまり、従業員に蓄積したノウハウは、農園のノウハウとしても蓄積されて、新しく入ってくる人はどんどん短い時間で作業を習得できるようになってきています。
久松理論|マニュアル作成時の3つの真髄
写真提供:久松達央
細部を作り込み、印刷物や動画の形にするだけがマニュアルではありません。マニュアルの作成自体を目的としてしまい、完成をゴールにしてしまうと、業務改善に寄与するマニュアルから大きく逸れてしまいます。
マニュアルを作成するときに、忘れてはいけない3つの真髄について解説してもらいました。
1. マニュアル(仮)を作って、チーム一丸となり更新を続けよう!
マニュアルは必要!でも、固定は不要!マニュアルの完成をゴールにせず、
マニュアル(仮)を作成し、いろいろな人に書き足してもらいながら常に更新しましょう。もし、1年以上マニュアルが書き換えられていないなら、農園の進化が止まっているかもしれません。
マニュアルを作成するプロセスや、マニュアルにそって行われる作業をもとに、検証する一連の流れがマニュアルです。
マニュアル(仮)について、チームで議論をすることこそがマニュアル作成の真髄!
2. 理念を反映したマニュアルづくりを!
抽象的な理念が具現化されたマニュアルを作成することで、大きな理念が農園の隅々に宿ることになります。「なぜ、このようなマニュアルになっているのか」を考えるたびに、理念は参照され、疑問を持たれ、深められます。
マニュアルが存在することで、農園の理念やコンセプトが鍛えられていきます。
3. マニュアルは使う側に必要なもので、教える側に必要なものではない!
マニュアルは、教える側が楽になるためのものではなく、使う側が作業をするときに参照するものです。もし、従業員などマニュアルを使う人からの要望がなければ、冊子や動画などのマニュアルを作成する必要はなく、記録と検証の形のマニュアルでも十分です。
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