株式会社久松農園 久松達央さんによる、豊かな農業者になるためのメッセージを伝える連載。前回は、就農準備段階での「研修」について、久松さんの研修時代を振り返りながら、「研修にはどのような意味があるのか」また「研修を通じて新規就農者が得るべきものとは」という弟子の視点で解説してもらいました。
今回は少し視点を変えて、新規就農者を育成する「師匠」にスポットライトを当てます。数々の新規就農者を輩出してきた久松さんに、弟子を育てる師匠の立場から研修について話していただきました。雇用を検討している方や、従業員の育成に困りごとがある方にもおすすめです。
プロフィール
株式会社 久松農園 代表 久松達央(ひさまつ たつおう)
1970年茨城県生まれ。1994年慶應義塾大学経済学部卒業後、帝人株式会社を経て、1998年に茨城県土浦市で脱サラ就農。年間100種類以上の野菜を有機栽培し、個人消費者や飲食店に直接販売。補助金や大組織に頼らない「小さくて強い農業」を模索している。さらに、他農場の経営サポートや自治体と連携した人材育成も行っている。著書に『キレイゴトぬきの農業論』(新潮新書)、『小さくて強い農業をつくる』(晶文社)
就農7年目からの師匠の葛藤
久松農園は、2012年に従業員の常時雇用を開始して以降、今までにのべ9名の従業員、3名の研修生を受け入れてきました。7年前にはじめて弟子を受け入れた久松さんですが、はじめから順風満帆というわけではありませんでした。弟子を受け入れてはじめて気づいたこと
はじめて研修生を受け入れたのはいつ、どのような経緯ですか。
久松達央さん
就農7年目で、「独立したいので研修をさせてください」とやってきた研修生(弟子)を住み込みで受け入れました。思ってもいなかった申し入れだったのですが、エイヤーで受け入れました。
弟子を受け入れて気づいたことは何ですか。
久松達央さん
自分では「仕事ができるようになった!」と思い込んでいましたが、教える側にまわったらよく理解できていないことが多いと気がつきました。一人で仕事をする時には、自分の頭が自分の体に指示して、自分が動けばいいのですが、ほかの人と仕事をすると、自分の頭が相手の頭に指示をして、他人に動いてもらわないといけません。「人に伝えられること」と、「自分ができること」は別物です。
「弟子に教える」ことで、久松さん自身にも葛藤があったのですね。
久松達央さん
当時の僕は、自分の体や頭での理解も伝え方も未熟だったのに、相手はわかっているだろうと思い込んで「何でわかんないの?」と相手のせいにしてしまっていました。
自分と同じ道を選ばなかった弟子たちにがっかりしたこともあった
苦難の師匠業のはじまりですね。
久松達央さん
そうですね。最初のころは、弟子には自分と同じスタイルで独立してほしいと思っていたんですよ。僕と違うことをして新規就農した弟子を見て、自分を否定された気になってしまうこともありました。
なぜそう考えてしまっていたのでしょうか。
久松達央さん
雇用側(師匠)と労働側(弟子)の関係を曖昧にしてしまったことで、師匠は「弟子のため」、弟子は「師匠のため」とお互いが我慢をしながら、無理矢理違和感を埋め続けていました。僕は「教えてあげている、お世話してあげている」という気持ちだったんですよ。でも、弟子は「教えてもらいたいことを全部は教えてもらえていない」と思っていたようです。我慢は長く続けられないので、当時は比較的短期間で弟子側が不満を持ってしまっていました。
久松さんでも、バシッとできなかったのですか。
久松達央さん
できませんでしたね。今思い返すと、安価で働いてもらっているという負い目があって、気になることがあっても弟子にはっきりと言えませんでした。さらに、弟子を経営に組み込んでしまって、「いてほしい」と思ってしまいました。そうなると、純粋に「教える師匠」と「教えられる弟子」の関係ではなくなっていました。経営的にも精神的にも未熟でした。
師匠も日々練習し、成長していく
弟子を迎えてはじめて、自分が理解できていると思ったことを人に伝えられていないこと、弟子との関係に遠慮して言いたいことが言えない関係になってしまったことに気がつきました。壁にぶつかった久松さんは、どのように変化をしていったのでしょうか。言語化や数値化で弟子に見える形に整理
「人に伝える」ために取り組んだことは何ですか。
久松達央さん
プレイヤーであれば、自分の知識や技術を磨くことが大切ですが、人に教えるためには、まったく別の練習が必要だったんですよ。さまざまな人に教えるために、「なぜその作業をするのか」などのロジックや言語化が必要だと気づいたことがはじめの一歩でした。
二歩目について教えてください。
久松達央さん
その次は、自分の頭の中にあった情報や知識を整理し、言葉と数字に落とし込み、みんながいつでも見えるようにマニュアル化しました。
マニュアル化することでどのような変化がありましたか。
久松達央さん
「僕の背中を見て学べ!」というスタイルだと、弟子との相性によってはうまくいきません。文章化や数値化してマニュアルを作ることで、誰でもノウハウを取り出せるようになり、さまざまなタイプの人と働けるようになりました。さらに、考え方や得意なことが異なるメンバーがマニュアルに書き足していって、それがチームとしての資産になっています。なので、メンバーが変わっても継続できています。
弟子と師匠の関係を定義
弟子と師匠の関係性については、何か転換点はあったのでしょうか。
久松達央さん
シンプルに「うまくいかないから、これは何か違っているな」と思ったので、研修生の受け入れではなく、従業員として雇用する形態に変えてみました。曖昧だった契約やルールを明確化して、「学びたい人は勝手に学んでね」というスタンスに切り替えました。
雇用形態に切り替えてよかったことは何ですか。
久松達央さん
新規就農を希望する・しないにかかわらず、僕の場合は、従業員と雇用関係を結び、きちんと給料を支払って「このルールでやってもらいますよ」と、はじめから条件を明確化できることで、気持ちが楽になりました。もちろん多くの人と一緒に働くと、すべてが大成功というわけではなく、うまくいかないケースも出てきますが、それも段々と受け入れられるようになってきました。
そのほかに気持ちが楽になった要因はありますか。
久松達央さん
経営的にも人を受け入れる体制ができたことで、楽しく人材育成ができるようになったかもしれません。弟子が1人の時は、「辞められたら経営が立ちゆかない」と思っていましたが、弟子や従業員の数が増えるほど、もう少し広く考えることができるようになりました。
紆余曲折あったのですね。
久松達央さん
実際に弟子を受け入れたり、雇用をしたことで「こうじゃないな」と理解できました。また、人を雇ったことで、経営のことや人材育成のことも改めて考えました。失敗しながら、変化していったのはある意味当たり前です。やってみなければ、わかりませんでした。今でも日々練習中です。