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今回は、埼玉県で「Organic Farmせっせと畑」を運営する野村翔平さん。非農家出身で、たくさんの失敗をしながら農業を軌道に乗せてきた歩みを聞かせていただきました。まず、個性的な農園名の由来について伺いました。
野村翔平さん
自分達の農園がどんな農園かという事を考えた時に、毎日せっせと畑仕事をしているな。365日働いても嫌にならない、むしろ楽しんで仕事をしている。そんな雰囲気を名前から感じとってもらえたらと思い、この名前にしました。また、名前負けしないようにと、自分への戒めも込めています(笑)
野村翔平さんプロフィール
1982年 東京都渋谷区に生まれる
2002年 オーストラリアNSW州立高校 卒業
2006年 早稲田大学人間科学部 卒業
2006年 綜合警備保障株式会社(ALSOK)入社
2010年 JAいるま野臨時職員として、約2年間所沢市内の農家にて研修を行う(所沢市担い手研修制度)
2012年 明日の農業担い手育成塾 入塾
2014年 認定新規就農者
2019年 認定農業者
2019年 埼玉農業経営塾 入塾
農園名/所在地 | Organic farm せっせと畑/埼玉県所沢市 |
栽培面積 | 6ha |
栽培品目 | ニンジン、ニンニクなど多品目有機栽培 |
販路 | 直売所、個人、飲食店 |
従業員数 | 社員2名、アルバイト9名 |
就農時の年齢 | 28歳 |
就農前|市民農園や週末農業で野菜づくり
野村さんは東京都渋谷区出身。都会の中で育ちましたが、両親がよくキャンプに連れて行ってくれたこともあり、アウトドアが大好きで、大学に進学すると市民農園で野菜作りを楽しむようになりました。大学卒業後に就職したのは警備会社。救急救命の資格を持つ野村さんは、AED(自動体外式除細動器)の営業を担当していましたが、ある日、再び農業に関わるきっかけが訪れました。野村翔平さん
営業で地主さんのところに行く機会があり、話をしているうちに農地を貸してもらえることになったのです。一反半ぐらいの農地を借りて、週末農業をはじめたら、農薬を使わずにうまく栽培ができました。その野菜を知り合いのレストランに配ったら、「ぜひ本格的に作ってよ」と声をかけられるようになって。もしかしたら仕事になるのではないか?と思い始めました。
もともと自然が大好きな野村さん。自然の中で仕事をしたいという気持ちがどんどん大きくなっていきました。
ウェブ検索で知った市の農業研修に参加
農業を始める方法を模索して、野村さんがまず行ったのがインターネット検索。つてがない中、農業を始める方法を探して「所沢市 農業やりたい」などと検索してヒットしたのが、市役所と農協が行う「所沢市担い手研修制度」のカリキュラムでした。タイミングよく募集期間中だったので、応募したところ見事合格。農協の臨時職員の形での研修となるため、勤務していた会社を退社する運びとなりました。2年間のカリキュラムが終わるころ、今度は「明日の農業担い手育成塾」が立ち上がり、更に2年間研修を受けることになりました。今度は給料が出ない立場での研修になり、青年就農給付金(現:農業次世代人材投資資金)を受給しながら、農業に励みました。
青年就農給付金とは?
市役所から紹介してもらって農地を取得、着実に規模を拡大
4年間の研修を終えて就農するときには、市役所から農地を紹介してもらいました。2012年に0.5haの農地からスタートして、2021年には6haまで規模を拡大しています。新しい農地はどのようにして手に入れているのでしょうか?野村翔平さん
農業委員会事務局にちょこちょこ通って農地の情報をもらっていました。また、隣接する農地の人にあいさつをして人間関係ができてくると、「農地を貸そうと思っているんだけどどうかな」と声がかかるようになりました。
「周りの方々と信頼関係を築いていくことは、基本的なことだけれどとても重要」と野村さんは語っていました。
おいしさを基準に決定する栽培品目
多品目栽培を進めるにあたり、栽培品目はどのように決定しているのでしょうか?野村翔平さん
大切なのは、自分たちが食べたいと思う「おいしいもの」であるかということです。毎年変わる気候や栽培条件、畑との相性などを考えながらも多くの品種をまき、その中で自信を持ってお客様に提供したいと思えるものを選んでいます。
おいしさをもとに決定した代表的な品目はリーキ。西洋ネギとも呼ばれる、地中海沿岸地域原産の野菜です。取引先にフレンチレストランや結婚式場などがあり、ニーズも少しずつ高まってきているのだそう。畑との相性が良いという面もありますが、リーキが持っているほかの野菜にはないおいしさにポテンシャルを感じて数年前から栽培を続けています。
非農家からの就農1年目の苦労|作業場がない!洗浄機がない!
就農1年目、野村さんが一番苦労したのは、どんなことだったのでしょうか?野村翔平さん
非農家出身の人が農業をするにあたってまず苦労するのは、作業をする場所がないということだと思います。私も最初のうちはキャンプ用の簡易的なテーブルにパラソルを差して、そこで日差しをよけながら作業をしていました。風が吹けばみんなでパラソルを押さえながらの作業でした。
農地は借りているので、拠点を持ちたくても思い切ったことはできないという事情があり、出荷作業する場所については試行錯誤を繰り返すことに。就農当初は車で30分ぐらいのところにある農業研修をした師匠の作業場に2畳ほど間借りするとともに、師匠が使わない時間帯に洗浄機などを使わせてもらっていました。その後、150万円ほどかけて耐風性ハウスの作業場を自分の農地に設置できたのは、就農8年目のことでした。
野村翔平さん
農業を始めようとするときには、栽培に必要なトラクターのような機械類のことは考えると思うのですが、実際ビジネスとして成立させるためには、栽培したものを商品にしなくてはなりません。水が必要ですし、洗浄機や袋詰めする機械も必要です。
作業場ができたことにより、労働環境が良くなって人を雇いやすくなったほか、雨の日でも作業ができるため雇用が安定するという効果もありました。
ストーリーを伝えられる対面販売の魅力
従業員の雇用は農協に紹介してもらったり、第一次産業ネットに求人を掲載したりして行いました。求人を出すと有機栽培に興味を持っている人たちから多くの応募があるといいます。優秀な人材を雇用できたことで、作業を従業員に任せて、野村さんが対面販売などの営業活動に出ていくことができるようになりました。
野村翔平さん
対面販売はめちゃくちゃいいですよ。話ができて、お客様の喜んでくれる顔が見えるので励みになります。同じ野菜を販売するにしてもストーリーが伝えられるのでファンになってもらえる可能性があると思っています。
たくさんの失敗から学んで成長する
就農してから、野村さんは「数多くの失敗をしてきた」と言います。野村翔平さん
就農した当初、自分のことをよく知っている仲間と一緒に仕事をしたことがあったのですが、甘えが生じてしまって仲良しクラブのようになってしまったことがありました。ほかにも、ホームセンターで安く売っていたビニール資材を買ったら、何回やっても失敗してしまったり。資材を変えたらすぐに成功したので、先輩の話を聞いておけばよかったと思いました。
農業を始めたばかりのころは収入が安定しないことが多く、なるべく出費を抑えたいと考えがちです。けれど必要な投資を確実に行うことも時には必要なのかもしれません。野村さんは「失敗から学ぶことは圧倒的に多い。ただ、もし先人の失敗を事前に知っていたなら、もっと先に行けていたのでは?」と思うことも。だからこそ、仲間とのコミュニケーションは大切なものとなっています。
野村翔平さん
研修時代や新規就農の仲間や後輩たちも、みんな意識を高くもって農業に取り組んでいるので勉強になります。切磋琢磨している地域だと思います。
野村さんは、所沢市担い手研修制度の第1期生。比較的規模も大きく、情報も持っているとして、後輩たちが頼りにして訪ねてくることもあるそうです。
経営についてのノウハウは必要
野村さんは、就農する前に経営については、しっかりと学んでおくべきだったと感じています。野村翔平さん
農業に従事する以上、栽培には関心を持っているし、本もたくさん出ています。意識の高い人は経営についても考えるのだとは思いますが、私はそうではありませんでした。本来は、栽培のことばかり考えるのではなく、経営についても考え、農家は一つの経営体であることを最初から認識しておくべきだと思います。
4年間の研修期間、学ぶことは栽培が中心でした。そして、就農してからは、時間のほとんどを栽培にとられてしまうという現実。また、経営について特に学ばなくても運営できている農家もあります。
2019年、野村さんは埼玉県が開催する埼玉農業経営塾に参加します。農業経営塾では、鼻をへし折られたような衝撃を受けたといいます。
野村翔平さん
農業経営塾は自分自身の意識が変わるターニングポイントでした。ノウハウや経営について、自分たちがやっていることがこれでいいのか、もっと考えなきゃいけないと思うようになりました。そして、当たり前のことではありますが、改めて経営者として従業員を抱えている以上、売り上げを上げて事業を継続できる環境を作らなければならないと感じました。
農業の魅力|1年に1度のチャレンジ
野村さんに農業の魅力を伺うと、「1年に1度のチャレンジ」という答えがかえってきました。野村翔平さん
農業を始めたときに80歳くらいの先輩農家さんに、「農業のことをいろいろ教えてください」と頼んだら、「俺はまだ60回しかやったことしかない素人だからな」と言われたんです。80歳になって60回しかできないというのは、すごい仕事だなと思いました。サラリーマンのときには、クリック一つでお金を動かすような仕事をしていましたが、農業では、1年に1回しかできない作業があり、1回1回の経験の重さが魅力であり、本気でいられるポイントだと思います。
失敗も1年に1回しかできない、失敗から学ぶチャンスも1年に1回しかない、そこが農業の面白いところ。そんな野村さんでも畑で泣いたことがありました。
野村翔平さん
ニンジンの発芽がうまくいって、うれしくて畑でガッツポーズをしました。その数時間後に夕立が降り、発芽した芽が全部流されたことがありました。その時は、もうまき直しができない時期であり、自然はやはり厳しいものだなと感じました。
このような経験を乗り越えて、野村さんは「農業においてはすべてが自分次第だ」と悟りました。
野村翔平さん
近年の気象は異常といわれていますが、農業はこういうものなのだと思っています。もしかしたら関東圏で今のように野菜が作れなくなる日が来るかもしれない。でも、覚悟してやるしかない、そんな中で継続できることを模索していくしかないと思っています。
農業の魅力を追いかけて、たどり着く場所
野村さんは今後も農業の魅力を追求していきたいと思っています。野村翔平さん
一番の目標はおいしいものを作って、多くの人に食べてもらうことです。自分の作ったカラフルな野菜を楽しく料理して、食卓に並べてもらう。そして、見たことのない野菜を目にした子どもがお母さんとその野菜について話をする、そんな光景をいつも思い浮かべています。
また、野菜栽培にとどまらず、加工品の販売や養蜂、養鶏などにも取り組んでいく予定です。
野村翔平さん
今、ドレッシングや野菜チップスができあがってきています。養蜂、養鶏などにも取り組めたら良いなと思います。もしかしたら、それが主力商品になることがあるかもしれませんし、いろいろな種をまいておきたいと考えています。
将来的には、食にまつわることをある程度完結できる体制を整えたい。それは非効率かもしれませんが、農業の魅力を追いかけていくときっとそういう形になるのではないか、と野村さんは考えています。
6次産業化の基礎知識についても知っておこう
栽培した野菜の加工・販売について、詳しくはこちらの記事をご覧ください。6次産業化の基礎知識
ゼロからのスタート、ひとつずつ叶えていく夢
非農家出身の野村さんの農業への挑戦。それは農地も作業場も農機もない、まさにゼロからのスタートでした。当初は作業場もない環境下で、多くの品目、品種に挑戦し、失敗したこともありました。また、個人・飲食店向けに販売を行って販売先へのフォローが困難となり、販売先の切り替えを行ったことも。それでもぶれることなく、ひたすらおいしい野菜を求め歩み続けた結果、売り上げが伸び、圃場の拡大や従業員の雇用が叶うようになりました。今では、多品目栽培や個人・飲食店販売を復活させることができるようになりつつあります。野村さんは「失敗と真剣に向き合って学んでいけば、次の失敗は避けられる」と言います。その言葉にはこれまでの経験を一つも無駄にはしないという強い意志が感じられました。
将来的には、キャンプのできる体験農園や気候変動に備えた複数拠点の開設についても構想中とのこと。軌道に乗り始めた「Organic Farmせっせと畑」はこれからもおいしい野菜を作り続けながら、進化を遂げていくことでしょう。