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今回は、埼玉県美里町で家族3人で野菜を生産している萩原圭一さんにお話を伺いました!
農園名/所在地 | はぎわら農園/埼玉県児玉郡美里町 |
栽培面積 | 約5ヘクタール |
栽培品目 | ブロッコリー、ナス、トマト、トウモロコシ、キャベツ |
販路 | JA、直売所、直売 |
家族構成 | 母、妻 |
従業員数 | なし |
就農時の年齢 | 32歳 |
職場で実家のトウモロコシをほめられて
萩原さんの実家は6代続く農家。地主のような大きな農家ではなく、お母様が直売所に販売を続けてきた小さな農家でした。萩原さんの父は役所に勤務していたこともあり、家族は、萩原さんが就農する前に社会で勉強した方が良いという考えを持っていました。萩原さん自身も、農業を志す気持ちになれず東京の菓子メーカーに就職し、10年ほど勤務。就農を考えるきっかけとなったのは、実家で採れたトウモロコシを職場に持って行き、ゆでて食べてもらったことでした。萩原圭一さん
職場の人たちが「なにこれ!おいしい!」ととても喜んでくれて。こんなに素朴でシンプルなものが、喜んでもらえるということに驚きました。その光景は今でも脳裏に焼き付いています。
萩原さんは、この出来事がターニングポイントだったと考えています。
リスクも考えて学んだ退職後の1年間
萩原さんは、会社を退職後すぐに就農せず、1年間は整体師やリフレクソロジーの資格を取る勉強をしました。その理由について、萩原さんは「農業に危機感があった」といいます。萩原圭一さん
農業でちゃんと収益があげられるのかという心配があって、もし失敗した場合に、体ひとつで食べていける方法は何かと考えて資格を取得しました。逃げ道を作っておくというか、いつ辞めても大丈夫なんだという気持ちを作る必要がありました。また、農業は食べ物で中から人を元気にする、整体は外から人を元気にするという仕事。人をトータルケアするという視点から、独自性が出せるのではないかというイメージもありました。
アグリビジネス研究会でネットワークを作る
トウモロコシが全滅
就農して間もないころ、萩原さんはトウモロコシをほぼ全滅させてしまいます。堆肥のやり方がよくわからず、亜硝酸ガスが発生してしまったことが原因でした。農業を辞めようかとまで思った萩原さんを救ったのは、野菜ソムリエの資格を取得したことをきっかけに、当時参加していたアグリビジネス研究会(現:株式会社オリザ)で出会った人たちでした。ap bank fesに参加
アグリビジネス研究会のメンバーは落ち込む萩原さんに、ap bank fesへ参加してみないかと声をかけます。ap bank fesとは、持続可能な社会をつくる取り組みをする団体ap bank(一般社団法人APバンク)が主催する音楽イベント。萩原さんは、8万人が訪れるそのフードコートエリアに、2008年から4年間トウモロコシを出荷しました。萩原圭一さん
参加してみないかと声をかけていただき、申し込んで選考に受かることができ、うれしかったです。前向きな気持ちと自信をもらいました。
ap bank fesへの参加をきっかけに、社員の方にレストランを紹介してもらい、2009年から野菜を出荷することができるようにもなりました。レストランへの出荷は、直接お客様とのつながりを感じられ、さらに農業が面白くなったと萩原さんはいいます。家の事情で2019年春に一度レストラン野菜から撤退したものの、10年間レストランに出荷できたことにはとても感謝しているそうです。
経営上の悩みも相談
アグリビジネス研究会は、経営上の悩みの解消にも役立ちました。ほかの農家の情報にふれて、良いものは取り入れ、少しずつ自分のビジネスに活かしていきました。また、研究会で出会った先輩経営者に相談することで、背中を押してもらって決断できたことがあるそうです。規模拡大への挑戦をひとつずつ
経営体育成強化資金を活用して施設栽培に挑戦
就農してしばらくは、周りの大きな農家をうらやましく思ったことがあったといいます。萩原圭一さん
もともとハウスを持っているような農家を見て、自分もあんな風にやりたいと思っていました。実際に、就農して周囲との差がつらかったり、規模拡大が叶わずに農業を辞める人もいると思います。
就農後、露地栽培だけを行っていた萩原さんですが、自身が結婚をした36歳のときに経営体育成強化資金を活用して、施設栽培に踏み切りました。2月にブロッコリーの収穫が終わった後に、冬場の売り上げ確保のためにハウスでトマトを栽培して直売所で売ることに。ただ、直売所の売り上げは、大雪が降ってお客さんが来なかったりすると全くなくなるなど、不安定な面もありました。
加工・業務用野菜への挑戦
次に転機が訪れたのは39歳のとき。JAから加工・業務用野菜をやらないかと誘われます。たまたま地域に加工・業務用野菜を栽培する人がいなかったこともあり、では自分がやってみるか、という気持ちで挑戦したといいます。加工・業務用野菜として出荷するためには多くの量を作る必要があり、そこにはリスクもありました。萩原圭一さん
レストラン出荷を辞めましたが、企業とつながる事の喜びを感じました。そこで、自分に無理なくできることを考え、3年前から取り組んでいる加工・業務野菜を拡大しようと考えました。自分の家が大きな取引先などがない農家だったので、かえって挑戦できたような気がします。
規模拡大に役立った農機
規模拡大に合わせて、農機も充実させていきました。利用したのは農林中金の農機具リース事業。もともとトラクターと管理機が1台ずつあるだけだったのですが、新たにトラクター、乗用管理機、乗用移植機などを導入。また、2019年度の埼玉野菜プレミアム産地づくり事業を活用し、乗用管理機・播種機を導入したことで農園の機械化が進み、更なる規模拡大に取り組むことができました。萩原さんは、現在就農12年目。初年度に比べて売り上げは3倍以上増加しました。
自分から動いて情報収集
農業経営塾への参加
就農9年目、萩原さんは、就農してから今までの答え合わせをしたいという気持ちで、埼玉県の農業経営塾に参加しました。農業経営塾では、アウトプットをする場面もあり、自分のやってきた農業を振り返るとともに、経営理念をより深めることができたといいます。農林振興センターに顔を出す
また、萩原さんは、就農5年目までは2カ月に1度は県の農林振興センターに顔を出すことにしていました。少しずつ自分のことを知ってもらい、5年目以降からは規模拡大で悩んだときに相談したり、サポートをしてもらったそうです。萩原圭一さん
特に用事はなくても、「勉強したいんです、何かないですか?」と顔を出していました。情報を教えてもらったり、叱咤激励してくれるのでありがたいですね。農業経営をするにあたり、訪れる場所がJAだけだと視野が狭くなってしまいますし、受け身でいたらガラパゴス化してしまうと思うので、いろいろなところに行くようにしています。農業関係だけではなく、商工会などの講演会に参加したりするのも参考になると思います。
同級生を含めて、地域に同年代の農業者がいることも大きな助けになっています。同級生も参加している地域の農業会議所など、公私を問わずいろいろなところに顔を出し、緩やかに人とつながって新たな情報を得ています。
台風でハウスが倒壊|自然の厳しさを実感
萩原さんが、就農してから知ったことの一つに自然の厳しさがあります。台風が2週連続で上陸し、前年に100万円かけて設置した50mのハウスが半分折れ曲がってしまったのです。萩原圭一さん
それまではap bank fesに参加したり、農業は楽しいな、と調子に乗っていたのですが、鼻をへし折られた気分でした。借金は残っていたし、片付けるのにも費用がかかりました。でも、壊れたハウスが飛ばずに近隣に迷惑をかけなかったのが不幸中の幸いでした。先輩農家の人に撤去を手伝っていただき、地域の仲間の輪を感じました。感謝しかありません。
自然のよるリスクは、農業をするうえで避けられないもの。萩原さんはリスクを回避するために、温暖である地域の強みを活かして春に出荷できる野菜を増やしています。また、高値で取引されるように、インターネットで関東甲信越の野菜の出荷状況を調べて、ほかの地域の出荷が減って、埼玉県のシェアが高い時期に栽培を合わせるようにするなど研究にも余念がありません。
野菜を楽しみにしてくれている人がいる
萩原さんに農業の魅力について伺うと、「農業は楽しいですよ!」と明るい声で答えてくれました。そこには、萩原さん流の意識の持ち方もあるようです。萩原圭一さん
今、目の前の作業が楽しいというよりも、食べてくれる人のことを思いながら作業するから楽しい。「萩原さんちのトマトはおいしいんだよね」と地元の人が楽しみにしてくれているものを作れることが楽しいのです。つらいと思うと365日つらいので、つらいことも面白いと思えることが大事だと思います。
そして今後は、家族、お客様を大切にして、誇りをもちながら農業を続け、露地野菜を中心に売り上げをさらに大きく伸ばしたいと考えています。
「成功の定義は人それぞれ。成功よりもチャレンジです」と萩原さんは言います。それは、安易に成功を求めるのではなく、視野を広く持って、目標から逆算して必要な挑戦を続けることを意味します。
周りの農家と比較して、もっと規模を拡大したい、個性的でおしゃれな販路を作りたいという欲望は、就農した人の夢であると同時に、落とし穴になることがあるのかもしれません。だからこそ、周りに惑わされることなく、常にリスクを考慮しながら、地道に挑戦を続けることが大切なのではないでしょうか。萩原さんの農園は、きっとこれからも着実に進化していくことでしょう。