森の中へようこそ
千葉県の北西部にある私の農園、都心から電車で40分くらいにも関わらず農園の周りを取り囲むように青々とした森に囲まれています。農道や林道を抜けた先にあるので、同じ市内の人でもまず見つけられない、自称・幻の農園。花の目覚まし、春告鳥の練習
3月の春分、人の来ない静かな農園に季節の来訪者が春を告げにやってきます。ハッとするような黄色い菜花が畑に広がります。その花びらをうるおすように降る雨は、催花雨(さいかう)と呼ばれ、一雨ごとに大地に恵みを与え、むくむくと眠りから覚めるように草木の花が咲いていきます。この頃はスズメが初めて巣を作る時期でもあり、それまで静かだった森からかすかに鳥のさえずりが響きます。
「ホーホー…ッケケッキョ」
春告鳥(はるつげどり)こと、ウグイスも春本番の前に練習しています。
人は来ずとも千客万来
春の畑を耕すとカエルが眠そうな顔をしてぐでんと寝転んでいるかと思えば、次の日には整地した土のキャンバスに鳥、ウサギ、イノシシの足跡がぽつぽつ、てんてん、どしどし…。彼らにとって虫や新芽があふれる春の畑はレストランのようなもの。フンという立派なお代を置いていかれると、農家の私はぐうの音も出ずただただ苦笑い。気前のいい常連さんたちは春になると毎晩私の畑にいらっしゃいます。キツネに化かされる
田んぼの代掻きが始まる4月、私は森が淡い緑でにぎわいだしたのを遠目に、茂みが勢いづかないうちに森をきれいにしようか迷っていました。その日、新しい常連さんの姿を見つけました。キツネが一匹、とぼとぼと田んぼの畦(あぜ)を歩いていたのです。昔は近くの草っぱらや里山に住み着いたキツネの群れがあったと聞いていましたが、宅地化や山の荒廃が進み姿はほとんど見られなくなっていました。その幻のキツネ、ふと足を止めて、しばしこっちを見たかと思うと、飛ぶように森に帰っていきました。それを見ていたら、なぜだかさっきまでの迷いがサッと流れて、気持ちのスイッチが勝手に「やる!」に切り替わりました。キツネに化かされたような気分で、前に進むことになりました。
立夏、森での仕事
数週間後、次第に夏めいてくる立夏がやってきました。気温がぐっと高くなる日もありますが、水を張った田んぼ、さわやかな空気が彩る、梅雨前の穏やかな季節。森の下草刈りと枝打ちにはもってこいの時期で、有志の森整美隊と一緒に森での仕事が始まりました。うっそうとした下草を刈り払い機でバッサバッサと刈って道を作り、余計な孟宗竹を一本、また一本と鋸(のこぎり)で切って、最後ははしごに登って鋸で杉やヒノキの枝打ち。大人が切った横から子どもたちは草や枝を外に出していきます。
森に風吹く
森林整美には数日かかりましたが、作業をしているそばから、これまで草や枝に遮られていた光と風が飛び込んできます。林冠(りんかん)から光がチラチラと差し込み、水田から吹き上がるひんやりとした風が額の汗をぬぐうように流れます。そうすると、みんなの顔もどこか清々しく、笑顔がこぼれるもので、見ているだけでも幸せな風景でした。森をきれいにしているようで、森に自分の心を洗濯してもらえたような気分でした。山椒の風
きれいになった森で、見つけた山椒(さんしょう)の樹。5月の終わりごろ小粒の青い実を付けます。一粒ひとつぶ、実に付いた枝を取って、たっぷりのお湯であく抜きして、塩漬けに。一粒で森の風のようなさわやかさとぴりっとした辛味が口中に広がります。立夏に仕込んだ山椒を梅雨に入るまで大事にとっておくのが、私のならわし。梅雨は長雨続きで気持ちもどんよりとしやすいので、山椒があると口にも心にも清々しさが戻り、少し気持ちが軽くなります。
【農家の一皿】夏至の夜長のちりめん山椒
一年で一番昼が長くなる夏至の夜。畑仕事も一段落する頃で、私はだいたい読書をしながら春の終わりを楽しみます。夜食の一品は立夏から夏至にかけて海で旬を迎えるちりめんじゃこと山の旬、山椒を出会わせた、ちりめん山椒。甘辛いちりめんと山椒のピリッとした辛味が後を引き、日本酒にもよく合います。キャンドルを灯して、今年も無事半分過ぎたことに感謝しながらちびちびと味わいます。<材料>
・水にさらした山椒の塩漬け(またはあく抜きした山椒)25g
・ちりめん(しらす)100g
・酒 大さじ2
・醤油 大さじ2
・みりん 大さじ2
・砂糖 小さじ2
<ちりめん山椒の作り方>
1. 油を加えずフライパンでしらすを軽く乾煎り(からいり)。しらすの香りが立ってきたら酒を加えて水っぽさがなくなるまで煎ります。
2. 残りの調味料をすべて加えて、焦げ付かないように注意しながら水気を飛ばします。キツネ色につやがでてきます。
3. 最後に山椒を加えて火を止め、全体になじませます。