前回は、私の生い立ちと農業に距離をおいた人生を書き出してみました。そんな私が農業と関わる仕事を始めた理由と、その仕事からの気づきをお伝えする前に、今回は、取材先で出会った農業者が農業をはじめたきっかけから見えてくるそれぞれの生き方を紹介します。
新規就農者の場合
まず、実家が農家でなく、就農前も農業とまったく関わりのない仕事をされていた新規就農者の話です。イチゴ農家のAさん
Aさんはサラリーマン家庭に育ち、自身も会社員になりました。40歳を前にしたころ、「何かをつくりたい」という思いが湧いてきました。そんなとき、仕事でイチゴ農家に赴き、「イチゴを作って、農協に出して、お金が得られるのであれば難しくないかなと思って」という何気ない気付きから農業の道を選びました。就農して6年目の今は「そう簡単ではなかった」と実感しています。米農家のBさん
土木業を営んでいたBさんは、国の政策により事業の一つとして農業、お米と野菜作りをはじめることに。せっかく作るのなら、農薬や除草剤、化学肥料を使わない自然栽培をしたいと、本を読みあさったり、講演を聴きに行ったりしました。また、有機栽培を実践し、教えている米農家のもとへ片道3時間かけて勉強に行ったことも。農業のおもしろさ、特に米作りにどんどんはまっていき、農業をはじめて3年後には、土木業は息子に任せて、米作りに専念するようになりました。Uターン就農者の場合
次に、実家は農家で、一旦、就職をしてから戻ってきて農家を継ぎ、農業をはじめたUターン就農者の話です。お茶農家のCさん
Cさんは、高校卒業して自衛隊に入隊しました。後継ぎとして兄がいたので、農業をすることはまったく頭にありませんでした。ケガが原因で自衛隊を辞め、小売店に就職しました。そこでは、仕事への向き合い方を学びました。30歳を迎えるころ、地元の同級生と地域を盛り上げる話をしていました。時を同じくして、家を継いでお茶作りをしていた兄が出て行き、「茶業は自分がやる!」と決意。その裏には、「地域と地域で育む茶業であり、それが自分の大事なものだ」という熱い思いがありました。養鶏農家のDさん
Dさんは、養鶏農家の3人兄弟の長男として生まれ育ちました。幼少期よりコンピューターが好きで、流通システムの会社に就職しました。40歳が近づくにつれ「パソコンやシステムを通してではなく、何か直接的な貢献がしたい」という気持ちが大きくなりました。たまたま友人から借りた本で日本の食が置かれている現状を知り、安心して食べられる卵を作ろうと、会社を辞めて就農しました。野菜農家のEさん
Eさんは、兄弟姉妹4人の末っ子。二つ上の兄が大学へ進学せず、農業と関係のないところへ就職することになり、「自分がこの家を継ぐのだろうな」と感じていました。大学の農学部を卒業し、研究職として会社に就職しました。研究の仕事は面白く、性に合っていましたが、自分のできる範囲では十分やりきったと振り返ります。「これからの人生プランを考えると、今が農業をやるタイミングかな」と、照れくさそうに話してくれました。後継ぎ農家さんの場合
最後は農家出身、最終学歴後2~3年のうちに、後継ぎとして農業をしている農家さんの話です。酪農家のFさん
Fさんは、乳用牛を飼う酪農家の三代目です。牛の世話は、生活の一部分として当たり前でした。農業高校から酪農を学ぶ大学に行き、卒業後は研修目的で牧場に2年勤めました。母親の体調不良により家に帰るやいなや、父親から経営のすべてを任され、経営者として酪農をスタート。5年前にチーズ工房を立ち上げ、生乳出荷と併せてチーズを作っています。同じころ牧場を法人化して、精力的に酪農を行っています。和牛農家のGさん
Gさんは、いつも泥まみれで、きつく大変な作業をしている父の姿を見ていて「まったく継ぐ気はなかった」と言います。気持ちが変わったのは商業高校を卒業して専門学校に通っていたとき。幼なじみに子牛のセリに誘われ、ボタン一つで数十万円という高額の子牛が競り落とされる様子に興奮しました。「そのセリボタンを押したかった」と就農したきっかけを教えてくれました。養豚家のHさん
Hさんの父親は、早期に会社を退職して野菜作りをしていました。Hさんの大学卒業と同時期に父親が亡くなり、後を継ぎました。アメリカの高校に通っていたころ、ホームステイ先の庭では豚が2頭放し飼いされていました。頭からつま先まで「いただく」という“いのち”の循環は大きな驚きとともに記憶に刻まれました。そこでHさんも就農してすぐに、豚を飼い始めました。「家畜福祉」というヨーロッパ発の畜産の考え方に基づいて放牧スタイルで育てられる豚には、今では多くのファンがいます。野菜農家のIさん
Iさんは、野菜農家の三姉妹の長女です。農業というより園芸に興味があり、農業大学へ通っており、就職先は造園に関わる会社にと思っていました。ところが、当時、付き合っていた生まれも育ちも東京の彼が、Iさんの実家に行ってみたいと言い出しました。Iさんには見慣れた風景でしたが、彼は虜になり、結婚して農業をしようとIさんに提案したのです。「夫がこちらに来ることを選択しなければ、私は今ここにいない」と、しみじみと語ってくれました。農業者としての「覚悟」をもって農業に向き合う
9人の農業者の農業をはじめるストーリーはいかがでしたか?それぞれに人生の機微があります。何人かは、親の大変さを見て「農業はしない、後は継がない」と思っていました。私自身もそう思っていたので、理解し共感します。皆さんに共通することは、農業に向き合う場面に立ったとき、それに気付き、農業への意義を自分に問い、自分で決めて、農業を選んだ点です。そこには、農業と向き合っていく「覚悟」があると強く感じました。