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【連載第3回】農家の子どもが大人になった今、思うこと|農家ライターが出会った農家のひきこもごも

果樹園三代目の農家ライター森田優子さん。20年勤務した小売業界で販売士・バイヤー・マネージャー・スーパーバイザーの経験と食農連携コーディネイターとしての活動から、『ながさき食べる通信』の取材を通して感じた農家や農業の「生の声」を鋭い視点で切り取りお届けします。 今回は農家に生まれた子ども時代の苦い思い出と、農家をとりまく世の中を交えて、ふり返ってみました。


取材撮影

写真提供:森田優子
果樹園三代目の農家ライター森田優子。20年勤務した小売業界での経験と食農連携コーディネイターとしての活動から、『ながさき食べる通信』の取材を通して感じた農家や農業の「生の声」を独自の視点で切り取りお届けします。 第3回となる今回は自身の生い立ちから、当時の農家をとりまいていた状況を見ていきます。

農家の子どもの憂うつ

びわ畑
撮影:森田優子
果樹農家に生まれた私は小学校から高校生まで、春休み、夏休み、冬休み、土日祝日、とにかく「休み」がきらいでした。それは、農作業の手伝いと称した「労働力」として借り出されていたからです。農作業に出ないときには家事を手伝うことが当たり前。働かなければならない自分が置かれた境遇に不満を抱いていました。

シーズンごとの手伝い

みかん収穫
撮影:森田優子
私の両親はビワを中心にナシ、ミカンを栽培していたため、雨の日以外は休むことなく、何かしら農作業をしていました。父が40代の頃は、精力的に果樹園を拡げたり、ハウス設備を建てたりしていました。
春:ビワの袋被せ・ビワの袋あけ・ビワの出荷用箱の組み立て・ナシの袋被せ
夏:ナシの袋あけ・ナシの袋あけ・ナシの出荷用箱の組み立て・ナシ畑のセミ捕り(夜寝静まっているのを狙って捕獲。特大ゴミ袋半分の量になることも)・ビワ畑の草むしり(これが一番つらい作業)
秋:果樹園の掃除(落ち葉や剪定枝を収集)
冬:ミカンの収穫・ミカンの出荷用箱の組み立て・果樹園の掃除
その他:新しい農地の石ころ拾い・ハウス設備のビニール張り

サラリーマン家庭への羨望

私の農業・農家嫌いは、小学校に入学し、サラリーマン家庭の子どもと自分を比較することから始まりました。子どもながらに、サラリーマン家庭は理想のように見えました。そして、うらやましくて仕方がありませんでした。

恥ずかしいと思った父親の姿

サラリーマン
出典:写真AC
スーツを着てネクタイを締め、足元はビジネスシューズのさわやかで格好いい友達の父親。更にセダン車を運転していました。片や、汗をかき土で汚れている作業着、地下足袋の自分の父親。その格好で父親が軽トラックで私を学校に迎えに来ることも。この時に、私は「恥ずかしい、学校の子たちに見られたくない」という気持ちになりました。

家に母親がいる!

主婦
出典:写真AC
サラリーマンの家では、子どもが朝起きて学校に行くまで、学校から帰って寝るまで、やさしく見守る専業主婦の母親がいたイメージがありました。農家の私の家では、朝早くから夜遅くまで、母親は畑に出て不在、自分も家事や農繁期には農作業を手伝わなければならないという状況に不公平感を感じていました。

新しいものと古いもの

小学生のころ、真新しい家にお呼ばれしたときのこと、きれいな洋服を身につけた友達が自慢げに家の中を案内してくれました。リモコン操作のテレビや大きなピアノ、当時発売されたばかりのスーパーファミコンまで、裕福なサラリーマン家庭ならではのぜいたくな環境。一番の衝撃は水洗トイレ!どこもかしこもキラキラして見えました。自宅へ向かう坂道から、古びた日本家屋がのっそりとお古を着た私を待ち構え、暗い気持ちになったことを今でも覚えています。

農業は5K産業という認識

梨畑
撮影:森田優子
このような幼少期の経験から、私の脳裏には農業は「きつい、きたない、かっこ悪い、稼げない」との4Kが植え付けられ、年頃になると「結婚できない」の5番目の「K」までがすり込まれていました。

当たり前だったサラリーマン志望

高層ビル風景
出典:写真AC
日本の基盤であった一次産業は、戦後、政策により高度経済成長期に二次・三次産業にとって代わられました。サラリーマンの台頭による「サラリーマン至上主義」という価値観は高度経済成長期後期には農家の自尊心をも侵食し、子どもには不安定で低所得の農業ではなく、安定的な収入が得られるサラリーマンを勧めるようになっていきました。

農業という選択肢はない

例に漏れず、私の両親も大学へ進学させてくれて、どこかに就職するだろうと思っていたようでした。三姉妹の三女の私には「農業をしてほしい」という言葉は一度も投げかけられたことはありませんでした。もちろん、私の辞書に「農業をする」という文字はありませんでした。反面、一番上の姉には、父からの「跡継ぎ」のプレッシャーが強くありました。姉は地元で就職しましたが、結婚した夫の転勤で東京へ。実家や農業から離れて行きました。

とん挫した就職活動

地下鉄階段
撮影:森田優子
当時は、大学に行きさえすれば、それなりの会社に就職できると、私は軽く思っていました。しかし、私が大学を卒業する1990年代の終わりは、バブル崩壊後の超就職氷河期。求人は少なくなっていましたが、大学の同級生は、真剣に就職活動をして希望の会社に内定をもらったり、熱心に公務員の試験勉強をして合格したりしていました。一方、私はやりたいことも、入りたい会社もなく、就職先が決まらないまま大学を卒業しました。今思えば、考えが甘かったと思います。とりあえず実家に帰り、公務員試験の勉強と就職活動をしました。公務員試験には落ちたものの、民間2社に就職内定をもらい、地元で勤務できる会社に就職しました。

飽和する消費

ショッピングカート
出典:写真AC
勤務先の小売チェーン店は20年のうちに、西日本から九州にかけて店舗を拡げ、大企業へと成長しました。2000年以降、地方では転出超過による人口減少にもかかわらず、全国的に郊外型ショッピングセンターの出店ラッシュというねじれた現象が起こりました。明らかなオーバーストアによる売上の低迷が2010年ごろには顕著になっていました。

消費活動を謳歌した20年

ファッショングッズ
出典:写真AC
私は就職できたことに安堵(あんど)そして、いくつかの新店立ち上げ、店舗管理者、本社勤務とさまざまな業務と転勤(なんと10回!)があり、仕事にのめり込んでいました。そして、私はショッピングセンターに勤務していたこともあり、食品、衣料品、住居関連、サービスと一通りのものをそろえ、欲しいものは欲しいときに買うことができました。また、外食したり、国内外へ旅行したり、家を建てたり、ありとあらゆる消費活動を謳歌しました。あっという間に18年が経ったころ、今の仕事に出会いました。

次回は「生産の現場」へ

今回は、団塊ジュニア世代といわれ、バブル期に農家の子どもだった私の生い立ちを苦い思い出とともにお送りしました。次回は、なぜ、あれだけ嫌っていた農業と関わる仕事を始めたのか?そして、その仕事から見えてきた、現代社会における農業の再評価と就農スタイルの変化、農家の家族のあり方をお伝えします。

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森田優子

果樹園三代目、『ながさき食べる通信』発行人・編集長・ライター、食農連携コーディネーター。地元の農業衰退を目にし、地域課題を解決したい! と「ながさき食べる通信」をはじめる。20年の小売業勤務で販売士、バイヤー、マネージャー、スーパーバイザーを歴任し、その経験を活かし、生産の現場の課題解決に走り回っている。シューフィッター、トータルカラリスト、パーソナルカラリストの資格を持つ。

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