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今回は、公務員から農業の世界に飛び込み、熊本県山都町でトマトや水稲などを生産している梶原甲亮さんにお話を伺いました!
梶原 甲亮さんプロフィール
1976年生まれ。九州大学法学部卒業後、熊本県庁に入庁。土木や農政、福祉などさまざまな業務に従事した後に退職し、2016年から就農。
農園名/所在地 | 梶原耕藝/熊本県上益城郡 |
栽培面積 | 4ヘクタール |
栽培品目 | トマト、水稲、ニンジン、ニンニク、サトイモ |
販路 | JA、青果業者、小売 |
家族構成 | 父母、妻、息子3人(父母と妻とともに農業に従事) |
従業員数 | なし |
就農時の年齢 | 39歳 |
就農前|農業は継がなくていいといわれて
農業へのネガティブなイメージ
梶原さんは農家の7代目。実家はもともと水稲農家でしたが、子どものころから、両親に農業は継がなくていいといわれて育ちました。梶原甲亮さん
農業はきつい、儲からない、大変だ、休みがないなどのネガティブな面を教えられて、職業として農業を選択しようという意識はなかったです。若いころは、いかに田舎を飛び出して就職するかということばかり考えていました。
熊本県庁に入庁、さまざまな仕事に従事
大学を卒業してから、熊本県庁に入庁し、事務職としていろいろな分野の仕事に従事。農家の長男として、定年退職後は実家に戻ることが漠然と頭にはありましたが、30代半ばを迎えて人生を考えるようになったときに、本当にそれでいいのかと思ったといいます。梶原甲亮さん
私が農業を継がないと、農家としては親の代で途絶える。果たしてそれでいいのだろうかと。早期退職をして農業をしようと考えていましたが、少しずつ自分の中で価値観が変わってきて、いずれ退職するのなら早く辞めて、退路を断って本格的に取り組んだ方がいいのではないかと思い始めました。また、行政の人間として農家の人と話したり本を読んだりするうちに、やり方次第で農業は面白い産業になるはずだという考えもありました。
県庁退職に妻は反対、両親は「もったいない」
公務員をしながら家業を手伝うのではなく、組織を飛び出して、生涯の仕事として農業をやってみたいという気持ちが強くなった梶原さんは、県庁を退職したいと家族に告げます。当初、妻は反対し、両親からは「もったいない」との言葉が。梶原さんは、妻の了承が得られるまで退職せず県庁での勤務を続けました。最初に退職の意向を家族に伝えてから3年、妻は梶原さんの気持ちが変わらないことがわかり、退職を了承。梶原さんは、親元での就農をスタートさせました。独立1年目の苦労
梶原さんは、まずしっかりとした商品を作れるようにならなくてはと、就農後1年間は親元で事業専従者(家族従業員)として農作業に従事。次の年から独立して、両親の手を一切借りずに生産を始めました。親が栽培していなかったニンジンの栽培にも着手し、青年就農給付金(現:農業次世代人材投資資金)を得ました。しかし、独立1年目は農作業のタイミングの難しさに悪戦苦闘することになりました。梶原甲亮さん
独立1年目は、トマトの病気を予防するタイミングを逃してしまいました。ベテランの農家さんは、病気や害虫の予兆がわかるのですが、独立したばかりのときはそれがうまく見つけられず、気づいたときには病気が広がっていたということがありました。また、8月にトマトの収穫と管理、ニンジンの作付け準備が重なってしまい、ニンジンに手をかけているうちにトマトがおざなりになってうどんこ病が広がるようなこともあって。仕事量がピークになって、夫婦二人では手が回らないということがありました。
どうしても仕事が終わらないときには、両親や子どもにも協力を仰いで一生懸命育てた商品。しかし、販売面でも予期しなかったことがあったといいます。
梶原甲亮さん
品物が多く出回る時期に、青果業者に受け入れを断られたりして、納品ができないことがありました。まずは生産に注力していたのですが、販売や経営について、もっと考えておく必要があったと思います。
独立1年目の洗礼。でも、梶原さんは失敗も経験だと思い、ネガティブには捉えませんでした。
経営について学び始める
どういう農業を目指すのか?
梶原さんに、就農前に知っておきたかったことはありますか?と尋ねると、「経営に関すること」という答えが返ってきました。梶原甲亮さん
役所などに就農相談に行っても、生産する作物や生産量についての話はしますが、そもそもどういう農業を目指すのかということを学ぶ機会を見つけることは難しいです。5年後、10年後どういう姿を目指すのかを固めないといけないと思うのですが、そういうことをきちんとアドバイスしてくれる人は少ないのは実情だと思います。
くまもと農業経営塾に参加
農業がうまくいっている人の著書を読んでみると、自分の経営理念を持つことの重要性について書かれていることが多いと気づいた梶原さんは、自身も経営について学ぶ必要があると考えるようになりました。そして、熊本県主催の「くまもと農業経営塾」に参加し、1年間経営について学びました。この塾は若手農業者の育成を目的としており、その内容は経営に特化したものでした。梶原甲亮さん
くまもと農業経営塾に参加する前は、規模拡大路線にするのか、高付加価値型にするのかなど、将来目指すべき経営スタイルに迷いがありました。塾の中で自分と向き合う時間を持ちながら、どのような経営をすればいいのか試行錯誤を繰り返しました。
自分の目指す農業は何か。経営塾での学びの中で梶原さんがたどり着いたのは、「お客様と直接つながる農家」というキーワードでした。
梶原甲亮さん
食べてくれるお客様にいかに喜んでもらえるか、健康になってもらえるか、というところに自分が農業をやっている意味を求めつつ、経営的にも軌道に乗せたいと思いました。
本を読んで常に知識を更新する
梶原さんが目指す農業を決定づけたものに、先輩農家の存在もありました。その一人が北海道のメロン農家、寺坂祐一氏。著書『直販・通販で稼ぐ!年商1億円農家』を読み、その存在に衝撃を受けた梶原さんは、寺坂氏のセミナーにも足を運び、直接話をして、直販をすることに背中を押してもらったといいます。また、くまもと農業経営塾にティーチングアシスタントとして参加していた山下弘幸氏の『稼げる!新農業ビジネスの始め方』も参考になったそうです。梶原さんは山下氏と直接コンサルタント契約を結び、経営相談をしています。
さらに、農業、ビジネス、自己啓発などの本を読み、意識して自分の知識を更新することに努めています。
買ってよかった選別機
梶原さんが買ってよかったものとして、「音声式重量選別機」を教えてくれました。この機械はかごに収穫物を載せて、一つずつ取り出すとそのサイズを音声で教えてくれるというもので、選別がはかどり、作業の効率化に役立っています。親元就農だからこその悩み
目指す農業の輪郭がはっきりすると、親がやってきた農業との違いが浮き彫りになってきました。親元就農では大きな初期費用の必要がなく、栽培方法を教えてもらえるなどのメリットがある一方で、苦労もあると梶原さんはいいます。梶原甲亮さん
親は生産物をJAに出荷すればいいという考え方です。その方が栽培だけに専念すればいいので楽な面もあるのですが、私はお客様の顔が見えないのはむなしいと感じるので、少しずつ販路を広げて、直接消費者の反応を知りたいと考えています。親のやってきたこととは違うので、ぶつかることもあります。
同居して一緒に仕事をする両親。近くにいても考え方や見ているものが違うのは、どこの家庭も同じかもしれません。梶原さんは意識して時間をつくり、両親と話し合いながら進んでいくつもりでいます。
「梶原耕藝」誕生|姿勢や思想を示すもの
梶原さんは、就農3年目の2019年、それまで名前のなかった農園に「梶原耕藝」という名前をつけ、ロゴも作りました。梶原甲亮さん
自分の農家としての姿勢や思想を表すアイデンティティがほしくて、長い時間をかけて案を練りました。まず、「耕す」という字を入れたいなと。また、「藝」という字には植物を植えるという意味があるので、この字を使おうと思いました。
2020年からは両親とわけていた経営を1本化し、ウェブサイトも作成しました。ウェブサイトには梶原耕藝の経営理念や、ロゴの意味、日々の取り組みなどが記されています。
梶原耕藝ウェブサイト
人間らしい生き方ができる
公務員から農業に転身した梶原さんが感じる農業の魅力とは、どのようなものなのでしょう?梶原甲亮さん
農業は朝も早いし、体力も使うし大変なのですが、公務員をしていたときも朝が早いときもありましたし、夜はもっと遅かったです。デスクワークで体力は使わなかったけれど、ストレスが大きかったこともありました。個人的には、体力は寝て休めば回復するけれど、精神的なプレッシャーは寝ても回復しないような気がします。今は、太陽とともに起きて日没とともに家に帰るという、人間らしい生活に戻ったのかなと思っています。
公務員時代に、実家の農業が漠然と気になり、これでいいのだろうかと考えていた梶原さんは、自分のことを「根無し草のようだった」と話します。迷いを振り切って実際に行動に移し、農業を自分の仕事と決めたことで、ライフワークができたと感じています。
一方、農家になって自由な時間がたくさんできたということはありません。作物の生育状況に縛られたり、地域の団体の役員の仕事などがいくつもあり、忙しい毎日。地域は支えあいで成り立っていますが、若い人が減ってきている中で、役割だけが残っている側面もあり、今後の地域のあり方について考えさせられることがあるそうです。
今後のビジョン
直販比率50%を目指したい
「お客様と直接つながる農家」を自分の農業の軸とした梶原さんは、今後数年以内に直販比率を50%までに高めることを目指しています。現状では、いたずらに規模だけを拡大する意向はもっていないとしながらも、将来的には地域でリタイアが進み、空いた農地が出てくることが想定される中、農地を拡大することやそれに伴って雇用をすることもあるだろうと考えています。
梶原甲亮さん
直販したら大変なこともあるし、すぐに結果が出るものではないと思います。現状維持バイアスという言葉があるように、現状のままで生活できないわけでないしという気持ちがもたげて、変わるための一歩が踏み出せないときもあります。でも、やりたいと思っているんだったら、その気持ちを持ち続けて、モチベーションを高めていくことが大事だと思っています。
自分をさらけ出して、知ってもらうこと
D to C型(Direct to CustomerまたはConsumer、生産者と消費者の直接取引)の農業を確立するために、梶原さんは自分を知ってもらうことが大前提だと考えています。梶原甲亮さん
自分という存在を知ってもらわなければ、世の中に存在していないのも同じこと。直販がうまくいくわけがないですよね。失敗したことや成功したことも含めてすべてさらけ出して、自分から情報を出していくことが大事だと思っています。
現状では、栽培が忙しくなってくると情報発信に手が回らなくなることがあることもそうですが、これからFacebookやInstagram、YouTubeをもっと活用していきたいそうです。トマトという栽培農家が多く差別化しにくい品目を扱うからこそ、自分自身をどのようにアピールしていくかということも課題の一つだと認識しています。
梶原さんはAGRI PICKでライターとしても活動しています。
農業で成功する方法には、規模を拡大して量を作る、はやりの野菜を作るなどさまざまなスタイルがあり、正解は一つではありません。同じように農業に携わる人も、お客さんと話をすることが得意な人もいれば苦手な人もいて、その人に合う農業のかたちがあるのでしょう。
じっくりと自分と向きあって、いろいろな選択肢がある中から、自分がどんな農業をやりたいのかということを考え抜いた梶原さん。その目指す形を見つけたことが、いかに大きな一歩だったのかということを教えてくれました。
ひとつのトマトが「梶原さんのトマト」としてお客様の手元に届いて健康と幸せに貢献することが見えたとき、きっと梶原さんも大きな喜びを感じるにちがいありません。