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今回は「日本一のタマネギを作る!」と淡路島に移住して、自身が育てたタマネギのブランド化に成功した迫田瞬さんにお話を伺いました!
迫田 瞬さんプロフィール
淡路島希望食品有限会社 代表取締役社長、2525(ニコニコ)ファーム代表
大学卒業後、人材派遣会社、飲食店に勤務。
2012年淡路島で新規就農。
日本一おいしい淡路島タマネギ「蜜玉」(みつたま)作りに挑戦中。
農園名/所在地 | 2525ファーム/兵庫県南あわじ市 |
栽培面積 | 8ヘクタール |
栽培品目 | タマネギ、レタス、トウモロコシ、コメ |
販路 | スーパー、加工業者、百貨店、道の駅、飲食店 |
家族構成 | 妻、子ども二人 |
従業員数 | 6人 |
就農時の年齢 | 28歳 |
就農前はラーメン店の店長
30歳までに起業したい!
迫田さんは大学生のときから、30歳までに起業するという夢を持っていました。その理由は、就職活動のとき、経営者たちに並々ならぬオーラを感じたこと。自分も仲間を集めて自分のやりたいことで起業したいと思っていました。大学卒業後は、人材派遣会社で営業の仕事に従事していましたが、学生時代にアルバイトをしていた大阪に本社があるラーメン店をフランチャイズする会社から、独立支援をするという条件で誘いを受けて転職。ラーメン店の店長をすることになりました。
複数のラーメン店を管轄する部長にまで出世しながらも、起業を目指していた迫田さんは、いろいろなことに着目して、毎年会社に対して新規事業の提案をしていました。農業、キャリアカフェ、車のカート場などの提案をしたのですが、会社に認められなかったり、事業化直前に実現できなかったりということが続きました。
淡路島のタマネギはすごい!
ラーメン店では、スープの仕込みで寸胴鍋に入れるタマネギは2~3kgにもなります。ある日、淡路島で買ったタマネギを入れたところ、スープのうま味やコクが全然違うことに気がつきました。迫田 瞬さん
野菜一つでこんなに味が変わるなんて驚きでした。淡路島のタマネギはすごい!と思いました。
同じころ、迫田さんは、神戸にある「楽農レストラン育みの里かんでかんで」というレストランを知ります。当時野菜のバイキングを提供していたその店は、立地条件がいいわけでもないのに、席数が200席以上あって、お客さんが並んでいました。このビジネスモデルはすごいと思った迫田さんは社長を連れて店を訪れ、同様の事業を新規に始められないかと提案します。迫田さんが淡路島のタマネギの魅力を語っていたことを覚えていた社長が返した答えは、「生産者から始めてみろ」でした。
決めたら即行動
揺らがない決意をもって
迫田さんにとって、社長の言葉は腑に落ちるものでした。農業はなくならない仕事であること、また、タマネギが料理のシーンに頻繁に登場する野菜であることに、大きなビジネスチャンスを感じました。土いじりをしたこともなかった迫田さんが農業へ転身することについて、家族は心配したといいます。それでも迫田さんの決意が揺らぐことはありませんでした。
迫田 瞬さん
私はやると決めたらテコでも動かないんです。30歳までに起業するという夢を叶えられるし、自分の責任は自分でとりたいと思っていました。そのときはそのぐらいの意気込みがありました。
縁がつながっていく
迫田さんは、淡路島で野菜を預かる冷蔵倉庫業をしている友人がいることを思い出し、連絡をとりました。その友人は仕事柄、農家や青果業者などに顔が広く、その縁から農地が借りられることに。2012年にラーメン屋の店長をしながらリサーチに入り、6月に移住、7月には会社を立ち上げ、9月には種まきをするという圧倒的なスピードでした。農業研修も受けずに、日本一のタマネギを作ると現れた迫田さんに対し、友人の紹介で知り合った人たちは温かく迎え入れてくれました。迫田 瞬さん
友人の紹介で師匠のような人に出会うことができました。その農家で種まきの手伝いをして、同じように自分の畑で種をまきました。
教えてもらって、すぐに実践する。そのようにして、迫田さんはタマネギの栽培に取り組んでいきました。
タマネギは生育に時間がかかる!
迫田さんは就農1年目に一人でタマネギを5反半とハクサイを2反栽培します。周りの人たちからは、一人でそんなに栽培するなんて無理だと思われていました。幸いラーメン店時代の仲間や社長も手伝いにきてくれましたが、なかなか現金収入は得られず、苦しい時期が続きました。迫田 瞬さん
タマネギは土の中にいるのが長い作物ですし、ハクサイも2月まで販売できませんでした。レタスなど、早く出荷できるものを同時に栽培しておけばよかったと思いました。
1年半で資金がショート
売上計画に届かない
起業の際に、迫田さんはラーメン店の社長から1,000万円の出資を受けていましたが、売り上げが計画の半分ぐらいだったことやトラクターや掘り取り機などの機械を購入したこともあって、1年半でその資金が底をつきます。迫田 瞬さん
最初から作物が全部売れるわけでもなく、タマネギが生長し過ぎて規格に合わなかったり、相場が思ったよりも安かったり、収穫後に保管していたタマネギが黒カビ病になったりと想定外のこともありました。機械をリースにするなど、もう少し上手なやり方はあったと思います。
その後は国民金融公庫から資金の融資を受けることにしました。銀行が税理士を紹介してくれたり、出資者の社長が連帯保証人になってくれたり、ここでも人の縁が迫田さんを助けました。
最初は補助金を利用しなかった
迫田さんは就農した当初、補助金は使っていませんでした。迫田 瞬さん
私は強気な性格で、補助金を利用しなくてもやっていけると思っていました。今から考えると、使える補助金は何でも使えばよかったと思います。
そんな迫田さんに対し、隣の集落の人が「人・農地プラン」や「農業次世代人材投資資金(旧青年就農給付金)」について教えてくれて、迫田さんは給付金を2年間受給することができました。現在は補助金の情報も集めて、農の雇用事業の補助金などを計画的に利用しています。
農地を借りるには信頼が必要
現在、迫田さんが運営する2525ファームの面積は8ヘクタール。しかし、最初は土地を借りることは難しかったといいます。迫田 瞬さん
淡路島は代々続くタマネギ農家が多く、5代目、6代目は当たり前という土地柄です。先祖代々守ってきた農地をよそからやってきた人には簡単に貸さないし、土地を借りるのには縁故があることは大前提。私はよそからきて農業経験もないので、なかなかまとまった農地は借りることができませんでした。
師匠の紹介で農地を借りながら栽培を続け、変化が起きたのは3年目ぐらいから。真面目に栽培を続ける迫田さんの姿を見ていた近所の人が、土地を貸してくれるようになってきて、5年目には逆に声がかかるようになりました。そして、いつも「もっと農地を広げたい」と周りの人に話をしておくことで、農地の情報が入りやすい状況を作るようにしています。
タマネギをブランディング|「蜜玉」デビュー
道の駅がブランディングを支援
迫田さんのビジネスを支えた人に、地元の道の駅の社員がいました。迫田さんのタマネギを売るための、ロゴ、ポップ、文言などを無料で作成したり、タマネギのUFOキャッチャーやタマネギのオブジェの作成を企画して、迫田さんのタマネギをブランディングすることに力を貸してくれました。迫田 瞬さん
その人から教わったことは数えきれないほどあります。商品も情報も、とにかく手に取ってくれるお客様目線でやろうと言ってくれました。
そして就農4年目、迫田さんのタマネギは「蜜玉」という名前で商標を登録しました。
1キロ200円以下では売らない
2525ファームの販路は、スーパー、加工業者、百貨店、道の駅、飲食店。加工業者に卸したものは、スーパーの惣菜コーナーで「蜜玉サラダ」として販売されているほか、餃子、酢豚、アジの南蛮漬けなどにも利用されています。「蜜玉」については、販売単価を1キログラム200円に設定し、それより安い値段では売らないことにしています。タマネギにしては高い単価をどうして設定することができるのでしょうか?迫田 瞬さん
単価を1キログラム200円と決めたときに自分から営業をしないと決めました。顧客の方が取引したいと思うほど、メディアに露出すること、SNSを駆使して自分たちで情報発信を毎日することを心がけています。
迫田さんは、栽培方法を研究し、1月に新玉ねぎを出荷しています。それは全国的に見てとても早い時期なので、商談会でも大人気。どこよりも早く出荷をして差別化を図り、ブランディングを進めることで、顧客が取引したくなる状況を作り出しているのです。
初年度売り上げ350万円から、就農から8年で、迫田さんの会社の売り上げは20倍超えの7,300万円になりました。
SNSでファンをつかむには?
2525ファームはSNSを駆使しており、例えばFacebookは4,700人以上がフォローしています。SNSを多くの人に見てもらうために、どんな工夫をしているのか伺うと「人が見えること」という答えが。迫田 瞬さん
私も社員もどんどん顔を出して、2525ファームの名前のとおり、いつも満面の笑顔の写真を投稿しています。そうするといい笑顔ですね、とか元気をもらえましたとか、コメントをいただけるようになってきました。みんなで順番に毎日投稿していると、一人ひとりにファンがつくこともあります。そのほか、広告を使ったりしながら、一つひとつ丁寧にやっていきました。
今では、インスタグラムに1万人のフォロワーがいる社員もいます。働きながら自分にファンがつくなんて、なかなかないこと。働いている人みんなにスポットライトが当たるのが2525ファームのSNSなのです。
農業には魅力しかない!
迫田さんは「農業には魅力しかない」といいます。0から1を生み出すことができ、1になったらそれを100にも1,000にもできるというのがその理由。また、1日ごとに達成感を味わうことができることも魅力の一つといいます。農業は天候ありきなので、雨の前にやれるだけ作業したり、夜遅くまでトラクターに乗ったりすることもあります。1日単位のハードな目標を達成できたときの「今夜はおいしいビールが飲めるな」という気持ちは何にも代えがたいですね。
作業で頑張ったことは、そのまま野菜のできばえにつながります。タマネギの収穫の際に、土の中に張り巡らされた立派な根を見ると、一つのストーリーがつながったような感覚になり、農業が本当にクリエイティブな仕事だと実感します。
農業に転身して、本当によかったという迫田さん。「これがなかったら何をしているんだろう」と思うぐらい毎日が充実していて、仕事をしているという感覚がないくらいだそうです。
今後のビジョン|夢を実現できる会社として成長する
規模拡大が進むことで、迫田さん自身の収入も満足度が高い状態になってきました。しかし、贅沢をしたいという意識はなく、経営者として、不測の事態が生じたときに会社や社員を守るためしっかりと蓄えて備えておくと考えており、家族ともその意識を共有しています。2525ファームでは、お祭りを開いたり、絵本を作って寄付するプロジェクトを立ち上げたり、農業の枠を超えた事業が複数スタート。今後は、タマネギがたくさん入っていて、化学調味料を使わないスープを使ったラーメン店を開きたいという想いがあります。また、若い社員が多いので、社員が思ったことを自由にできる社風を大切にして、どんどん新しいチャレンジをするよう背中を押しています。現在、社員がアパレル部門を立ち上げること計画をしています。
ゼロからのスタートで農業をはじめ、資金が底をつくなどピンチも経験し、「僕が生き残っているのは、運や周りの人に助けられたからです」と迫田さんは笑いますが、常に走り続けるそのエネルギーには周囲の人たちを巻き込む力がありました。今では、迫田さんや社員が地元の大学で講演したり、近所の農家から注目を集めたりする存在です。
日本一のタマネギを作るという信念、育てたタマネギへの確かな誇りが「蜜玉」の地位をゆるぎないものして、2525ファームを成長させてきたのでしょう。今後も迫田さんの活躍と2525ファームの発展から目が離せそうもありません。