目次
- n.yokoyama
農業生産現場を活動フィールドとするライター兼フォトグラファー。25年の活動で取材実績は延べ約400件。撮影時は田んぼや畑の中を一眼レフ2台持ちで移動しながら最適なアングルを求めるのが私のスタイルです。…続きを読む
シリーズ第2弾となる今回は、宮城県丸森町で宿根草等の花苗を生産している経営者、鈴木学さんにお話を伺いました。
はるはなファーム株式会社
代表取締役社長 鈴木 学さん(53歳)
転職を繰り返した20代、30代で新規独立開業し、40代で規模拡大、法人化。そして今、50代にして宿根草を柱とした新たな経営方針を打ち立て、新規顧客の開拓、IT技術の習得、さらにはブランドイメージ向上のための文化活動に取り組んでいます。【会社概要】
・設立:2013年
・生産品目:宿根草、一年草等の花苗
・従業員:11名
・売上:6,600万円(2020年度)
・Webサイト:https://haruhana-farm.jp/
転職を繰り返した20代を経て35歳で新規独立就農
― ご出身は滋賀県なんですね。鈴木:滋賀県大津市には小学校5年生まで。父の転勤で東京に転居して、大学卒業まで東京で生活していました。
― 宮城県との接点は?
鈴木:大学卒業後に就職したのが仙台のコンサルタント会社でした。地域興しとか土地改良とか農業土木といった農業に近い分野のコンサルタント業でした。
― その仕事がご自身の就農につながったのですか?
鈴木:いいえ。その後の20代は転職の繰り返しでした。コンサル会社の次は養液栽培のプラントを販売している会社、グリーンツーリズムを主催する会社、トラックの運転手、その後、ハーブ苗をつくっている会社で5年働きました。そこをやめて独立したのが2003年、35歳の時でした。
― 農業に関わっていこうと考えたのはどのあたりからですか?
鈴木:農業の周りを何となく転々としてきたけれど、自分でやることになるとはぜんぜん考えていませんでした。わりと流されていた感はあります。
― 農業の周辺に身を置いていたのは何か理由がありますか?
鈴木:基本的に農業が好きなんだと思います。20代のころは、仕事とは別に知り合いの農家に畑の一角を借りて自分で野菜をつくっていました。
― ハーブ苗の会社を経て独立に至る流れは?
鈴木:その会社では生産管理とか営業を担当していて、独立に向けて一通りのノウハウは身についたのかなと思いますが、自分が経営者になる考えはなくて、営業先のホームセンターで知り合った花苗の会社の人に転職するつもりで相談していました。
― そこで初めて花苗が出てきましたね。
鈴木:ところがその会社、家から遠くて通勤に時間がかかるからダメだと断られました。それで転職は諦めましたが、社長さんに「独立するから何か仕事をください」と相談したところ、仕事をもらえたので独立することにしました。
― 仕事を確保することが独立の条件だったわけですね。
鈴木:そうです。その会社ともう一社、独立時には花苗の会社から仕事を確保していました。農地を探したりといった開業準備は後回しでした。
自己資金ゼロ、身内からの借金を開業資金に
― 農地取得はどうしましたか?鈴木:けっこう苦労しました。今の場所から300メートルほど離れた場所で、そこは知り合いの奥さんの実家です。コネですね。
― 行政や公的機関を利用することはなかった?
鈴木:Iターンで丸森に移住しましたが、会社勤めだったから行政とのつながりもなかったので。しかも仕事ありきでスタートしたから、あまり吟味する時間もなく、とりあえずつくらないといけないという状況でした。
― 当初の面積はどれくらい?
鈴木:敷地が約60aでハウスは300坪くらい。
― 開業資金はどうされましたか?
鈴木:主に身内からの借金。自己資金は全然なかった。あとは(農業)近代化資金。実績がないのに事業計画書を認めてもらって認定農業者になって近代化資金が借りられました。そのあたりのことは役場の人に良くしてもらいました。
― ハウスも建てなければならないですよね。
鈴木:業者さんが知り合いにいて、何年かローンにしてもらいました。それはすごく助かりました。
― 現在の場所に移転したのはいつですか?
鈴木:2010年です。
― 生産施設がこのように一カ所に集約できているのは強みですね。
鈴木:移転前はあちこちにハウスが分散していてとても不便でした。そういう意味では運が良かったと思います。
主要品目を宿根草にシフトして新規顧客を開拓
― 宿根草を始めたのもそのころからですか?鈴木:宿根草はもともとメイン取引先のA社が自社施設で生産していて、その周辺に下請け農家が何軒もありました。うちもその末端にいて、2011年以前は売上の1~2割程度の割合でつくっていました。花苗は2008年ごろまでいろいろな品目が順調でしたが、リーマンショックを境にガーデニングブームが下火になったこともあって、なかなか売れなくなっていました。そういう状況だったので、とにかくやってみようということで宿根草が増えていきました。
― 今のように宿根草メインになったきっかけは?
鈴木:震災でA社が被災企業になってしまい、自社施設で生産できなくなってしまったのです。A社の社長から「何とかして」と相談されたこともあって、震災復興関係の資金を利用してハウスを増設し、宿根草の増産に踏み切りました。
― 増産分はA社が引き受けてくれるのですか?
鈴木:そうです。A社と年間を通して品目ごとに栽培計画を立て、その計画に沿って春秋の出荷量を決めて播種・育苗しています。あとはここ数年の自主営業で、園芸専門店や通販業、造園業、ガーデンデザイナーとかガーデナーといった新規顧客が増えています。
― その結果として宿根草を700~800品種も栽培している。
鈴木:内訳はA社で300、それ以外で400。客先のリクエストを取り入れながら、どんどん新しいものを採用するようにしています。宿根草は一品種でたくさん売れるものがないという事情もあります。
― 市場出荷はあるのですか?
鈴木:ありますが、競りに出すことは一切していません。注文品の出荷だけです。
― 市場からの注文ということですか?
鈴木:それがやっと最近増えてきまして、今は5%くらい。最近になって営業して取ってきたお客さんは「経理上は市場を通して」というケースも増えています。相手が大きい会社になるほどその傾向は強いですね。そういうところは伝票だけ通します。通しているうちに市場のコンピューターに履歴が残っていく。それを見て次の注文が来るという循環で注文が増えてきています。
ホームページ、メルマガ、上映会…、新しい仕掛けで存在感を示す
― 自主営業の成果が出てきているみたいですね。鈴木:お客さんから「取引してもらえませんか」と言われるようになったのはここ1年くらいのことです。ホームページをつくった効果は大きかったですね。あとは造園・ガーデナー向けのセミナーや勉強会に参加することも営業活動の一環です。お客さんが来そうなところに顔を出して、そこで名刺交換して取引につながるケースはあります。
― そういった活動の積み重ねが重要なんでしょうね。
鈴木:そうですね。あとはメルマガ。平均すると月一くらいの頻度ですが、効果は大きいと思っています。フォーマットとしては、時候の挨拶に始まって、その時期の暑いとか寒いとか気候の話、そしてそのときに出せる品目の在庫表と注文書。最後に雑談というか小ネタで締めるパターンです。
― 読者は何人ですか?
鈴木:350人くらいです。野菜などの生産者はお客さんはある程度の頻度で注文があるかもしれないけれど、花苗は特にガーデナーさんだと年1~2回くらいしか注文のない人も多い。そういう人たちに対して定期的につながりをもつことで存在感をアピールできます。
― 営業方針を変えてから活動の幅が広がっていますね。
鈴木:2019年1月、うちのお客さんのガーデンデザイナーたちと共同で映画の上映会を横浜で開催しました。ニューヨークのハイラインなどを手がけた世界的に有名なガーデンデザイナーのドキュメンタリー映画です。字幕を自分たちでつくったりと手づくりの運営でしたが、2回の上映で400人。こうした活動もブランドイメージ向上の一環だと思って取り組んでいます。
今は自分の価値観に合った仕事ができている
― 鈴木さんにとって宿根草の魅力とは?鈴木:宿根草の庭が好きなんです。ガーデナーや造園業者さんに向けて商売を始めるようになったきっかけは、長野県の蓼科にある宿根草で有名な恵泉女学園のガーデンです。そこで見た光景にすごく感動して、こういうところに植わっているものをつくりたいと強く思いました。
― 従来のA社向けにつくっている宿根草と、新たな顧客向けにつくる宿根草は何か違いがありますか?
鈴木:メイン取引先の下請けでつくっている宿根草は華やかなイングリッシュガーデンやローズガーデンに合うもの。自主営業しているのはもっと地味なナチュラリスティックな植栽に合う宿根草です。花だけでなく季節感とか植物のフォルムとか葉っぱの色とか、花が終わった後の種とか実とか草の穂…、そういうものを楽しめる宿根草。それが自分の価値観に合っています。
― どのようなところに需要があるのですか?
鈴木:SDGsなど環境意識が今の世の中で求められている背景があって、ナチュラリスティックな植栽を商業施設に取り入れているところが増えています。当然うちにとってビジネス的にプラスになっています。有名なところでは例えば立川のGREEN SPRINGS、日本橋のコレド室町、南町田のグランベリーパークといったところでうちの苗を使ってもらっています。
就農時には必ずしも高い理想を掲げていたわけでもなく、綿密な将来設計があったわけでもない。むしろ「食べていくことに必死」で生きてきた経営者が、宿根草との出会いから自らの価値観を目覚めさせ、50代となった今、理想の経営を追求しつつ充実期を迎えようとしています。今回の取材では、年齢を重ねながら進化を遂げた経営者の心の変遷を垣間見ることができたような気がしました。