【PICK UP企業】生乳の新しい流通を創るMMJ

生乳の自主流通を志す酪農家のパートナーとして創業し、ネットワークを拡大、売上高110億円(2018年5月期)まで成長した株式会社MMJ。代表取締役社長茂木修一氏に、創業までのストーリー、酪農界への想いや今後の目指す姿などをインタビュー。酪農界に対する熱い想いを伺ってきました!


牛と牛乳

出典:写真AC
生乳の自主流通を志す酪農家のパートナーとして創業し、ネットワークを拡大、売上高110億円(2018年5月期)まで成長した株式会社MMJ。
その創業のきっかけには、酪農界に対する熱い想いがありました。
代表取締役社長茂木修一氏に、創業までのストーリー、酪農界への想いや今後の目指す姿など、お話を伺ってきました。

MMJとは

事業概念図
提供:株式会社MMJ
株式会社MMJ(Milk Market Japan)は、2002年に創業した群馬県伊勢崎市にある生乳・乳製品の仕入販売を行う会社です。中間経費の無駄を省いたシンプルな契約による乳価で酪農家から生乳を仕入れ、乳業メーカーに販売しています。MMJの事業は、酪農家にとっては生産した生乳を自由に売れる、乳業メーカーにとっては必要な生乳を手に入れられる双方の生命線となっています。MMJには、現在86軒の酪農家が参画しています(2019年3月現在)。

しかし、生乳の販売は、酪農家が指定生乳生産者団体(以下「指定団体」)に指定された量を指定された価格で販売することが当たり前とされてきた世界。MMJの発足までには、さまざまな苦労がありました。

ピンク色の牛乳に衝撃!新しい生乳流通を立ち上げる契機に

バルククーラー
出典:PIXTA

肉用子牛生産の仕事から酪農家と関わりを持つ

茂木氏は、群馬県伊勢崎市で肉用子牛の育成牧場を40年ほど営んでいました。生まれてすぐの子牛を酪農家から直に買うことで、最高で2000頭ぐらいの牧場になり、群馬県内のほとんどの酪農家から子牛を集めていたそうです。

ピンク色の牛乳に衝撃を受ける

そんな中、1993年頃に牛乳の生産調整が行われました。その際に、付き合いのある酪農家に「子牛に与える牛乳を持っていかないか」と声をかけられて、バルククーラー(搾乳した牛乳を入れておくタンク)に入っていたピンク色の牛乳をもらったそうです。ピンク色の牛乳というのは、生産調整の際に、指定団体が前年生産量だけの牛乳を集乳し、バルククーラーに残っている牛乳をほかに売ることができないように、食紅を入れていったものです。

「バルククーラーには3分の1くらい、1トン近くの牛乳が残っていました。バケツに数杯もらいましたが、あとは捨ててもらいました。その時に、何とかならないかな、どこかに売れないかなという思いがありました」

酪農の経営について考え始めて

何年か後、茂木氏は千葉の酪農家から「群馬は関東の中でも、乳価がとんでもなく安い。千葉では夏に牛乳が足りないので、売れるのではないか」と言われ、乳価は酪農にどういう影響があるのか、ほかに販売する方法がないのか、酪農の経営について考えるようになったそうです。

「酪農経営というのは、繁殖とか個体乳量が多くなれば収入も上がるという考えの酪農家がほとんど。人より高い乳価で売るのは罪悪感を持つ人が多く、そもそも乳価を変えられるという認識もなかったのです。牛乳は酪農家が搾乳したものを指定団体が全量持っていって、販売して精算書を酪農家に渡す委託販売。そのため、酪農家は売った時点で販売価格も知りません。すべての経費や加工比率を計算してみれば販売価格の詳細がわかりますが、それよりは自分の成績を見ろ、酪農家は売る心配をするなという指定団体の指導で育ってきた人が多かったわけです」

国の制度への憤りから、アウトサイダー支援を決意

2000年に茂木氏は群馬県内外の各酪農協のトップと思われる人を13人集めて、酪農経営研究会を始めました。コンサルタントや獣医師を呼ぶなどして研究会を1年間行ったそうです。

「その研究会に一人だけ埼玉の酪農家が参加していたのですが、7年償還の近代化資金を3年ぐらいで繰り上げ償還していたことがわかりました。いったい何が違うのか、個体乳量なのか、繁殖成績なのか、それともエサづくりが上手なのか。その酪農家の決算書を見せてもらったら、出荷乳価だけが7円高かったのです。たったそれだけのことで、こんなに違うのかということになりました」

指定団体の指導に従うのではなくて、単に単価を高く売ればいいのではないか、という発見がありました。乳価は都道府県によって違いますが、酪農家は他県の乳価を知らなかったのです。
驚いた茂木氏は、全国にいる肉牛関係の知人に、指定団体以外に出荷している酪農家はいないのか聞いてみたそうです。

「小さいところではちょこちょことあることがわかりました。生産調整の際に、人の牛乳に何の権利があって食紅を入れるのだと、頑張った人たちがいるのです。バルククーラーに入っている牛乳は、厳密に言えば、まだ委託販売になっていないのに、何とも許しがたいと。牛乳が不足した乳業メーカーもあり、売ろうと思えば売れたのです」

加工乳製品が増え過ぎると国は生産を制限するよう通知し、中央酪農会議がそれを受けて各県の生産量を決め、各県が指定団体の量を前年実績で決める。そして、指定団体が、各酪農家の出荷量を前年実績に基づいて決めるのが従来の仕組み。しかし、規模拡大しようとする酪農家の方では、新しい牛舎を建てる、搾乳機も高性能にするなどして、前年実績に収まらない場合もあります。

「前年実績を上回る酪農家の方が少ないので、一人一票の組合の理事会では通らない。だからといって、ほかの組合に移籍できるわけではないのです。そうなると、選択肢は、牛乳を捨てるか、牛を売るか、指定団体以外に出荷するアウトサイダーを選択するか、ということになってきます。それで指定団体以外に出荷する道を選んだ人が全国に現れたのですが、圧力がかかり1年ぐらいで空中分解することがほとんどでした」

当時、酪農家が個人でアウトサイダーを選択することは難しい現状がありました。茂木氏は、組織を作ってアウトサイダーを支援することを決意します。

MMJを発足|酪農家・乳業メーカーとのネットワークを構築

茂木氏の呼びかけで、酪農経営研究会のメンバーのうち5軒の酪農家が、2001年ラクテックスという会社を起こします。茂木氏自身は販売先の開拓や契約に携わりました。

「会社を創ってアウトサイダーをやることは、当時全国的に見てもなかったと思います。乳価も高く、利益も出ましたが、ラクテックスは第2、第3の販路を作らず、1年経ってしまいました。ラクテックスと共存しながらも、また、看板を掲げれば生乳を欲しいという乳業メーカーもあるかもしれないということで立ち上げたのが株式会社MMJです」

2002年9月に立ち上げて、ホームページを作成し、業界紙に小さく広告を出したところ、1カ月の間に5社の乳業メーカーから連絡があり、ラクテックスと協力しつつ生乳を出荷することになりました。12月には群馬県の酪農家が2軒、翌年の春に岩手県の4軒の酪農家が加入することに。その後、2006年に生産調整があり、MMJは栃木県、北海道、愛知県と集乳エリアを広げていきました。

「私たちは、自分から仲間を増やすことはありません。指定団体と付き合う人たちは、指定団体の立場を尊重しなければならないという基本的な考え方があります。そのときに外に出荷する人と、指定団体に残った人の間にしこりが残ることもあります。国の制度が必要に応じてケアされていれば、酪農界はもっと自由だったのではないかと考えています」

MMJが新たに開いた生乳流通の世界

別海のおいしい牛乳
提供:株式会社MMJ

ブランド牛乳の開発|酪農家の悲願を叶える

従来、牛乳は指定団体に出荷するとほかの酪農家の牛乳と混ぜられて、酪農家の知らないところで製品になってしまう仕組み。しかし、生産者には自分たちの牛乳を製品の姿として売り出したいという思いがあります。

「例えば、北海道の別海町は酪農しか産業のないような場所です。そういう地域で育った子どもが北海道から出たときに、周りの人が札幌や帯広を知っていても、別海町のことは誰も知らないとなると非常に寂しい思いをするのではないか。だから製品に別海の名前を入れたいという欲求があるのです。酪農家にとってのMMJは、生産調整の時には駆け込み寺のような立ち位置であり、乳価も高いというほかに、牛乳を自分の思う形として消費圏に届けられるというメリットがあるのです」

牛乳販売先の開拓

MMJは、全国の乳業メーカーを通じて牛乳の販売先を開拓しています。

「乳業メーカーがMMJと取引することで元気になったり、スーパーのいい棚を取ったり、生産量が上がったり、設備投資ができたりすると、ほかの乳業メーカーも関心を持つようになります」

「乳業は工業であり、設備投資を連続でしていかなくてはいけません。乳業メーカーが設備投資をしたら、こちらも酪農家を探せば良いのです。中小の乳業メーカーは、生産量を増やしたくても牛乳が足りなくて困ることがありますが、その際にMMJは役に立つことができます」

牛乳市場の基盤整備を目指して

システム概念図
提供:株式会社MMJ
茂木氏は、事業を進めるうちに「牛乳の市場が欲しい、Web上で市場を作るのが正解なのだろう」と思うようになりました。

「牛乳だけは市場がないというのがこれからの最大の課題なのではないでしょうか。生乳の売り手と買い手の契約が成立しなかったとき、市場があれば回避できる。また、乳価が高騰した時に、市場感から見て適正な評価かどうか、酪農家にはわからない。そこで、複数の不特定な人達が、値段を上げたり下げたりできる市場がどこかに欲しいのです」

2016年からMMJはWeb上に作っている生乳売買マッチングサイト「ミルク市場」を運営しています。
ミルク市場

「今後は生乳を自由に売れるし、配乳権が酪農家に移ったということがいえると思います」

MMJが描く未来

茂木修一氏
撮影:AGRI PICK編集部
2018年「加工原料乳生産者補給金等暫定措置法」が廃止され、加工原料乳生産者補助金について、「畜産経営の安定に関する法律」に基づく新制度が施行され、従来指定団体出荷に限定されていた補助金が、すべての農家に交付されることになりました。MMJは「第1号対象事業者」に指定され、加入農家は大幅に増加しています。
そして、2~3年以内に、海外を含めて200億円規模の売上を目指すとのこと。

「売上が200億になれば、国内最大規模の飲用乳業メーカーの売上とほぼ同等になります。酪農家が万が一指定団体からそっぽを向かれても、MMJが何とかしてくれるのではないかという安心感につながるのではないかと。今、MMJの飲用乳のシェアは市場の3%以上ですが、10%にすればメジャーになります。MMJの取引先も規模を拡大しています。30万トンぐらいの規模はやっていこうと思っています。まだ壁は厚いですが、ほとんどの乳業メーカーに相手にしてもらえるような企業になることも目標です」

そして酪農界の未来も見据えています。

「酪農の世界を壊すつもりはありません。やっていること自体は普通の商業活動ですので、当たり前のことと認めてもらうのが目標です。Web上の市場も活性化していきたいですし、酪農界全体が活性化することに貢献していきたいと思っています」

穏やかな雰囲気の茂木氏。茂木氏が設立したMMJは、生乳の流通に新たな道を開き、酪農家と乳業メーカーを結び付けました。そして、そのネットワークは拡大し、販路は海外にまで及んでいます。MMJの成長は、日本の牛乳がより多くの人に届くことの指標といえるかもしれません。

会社概要

株式会社MMJロゴマーク
名称 株式会社MMJ(https://milkmarket-japan.com/)
所在地 群馬県伊勢崎市昭和町3928
創業 2002年12月
事業内容 生乳・乳製品の仕入販売
沿革 1999年 群馬県、埼玉県の酪農家ら13名で酪農経営研究会を発足
2001年 群馬県の酪農家5名で生乳自主販売組織(株)ラクテックスを設立
2002年 MMJ発足
2008年 生乳ネットオークション開設
2016年 テレビ東京「ガイアの夜明け」放映、業界内外から大きな反響を呼ぶ
2018年 「加工原料乳生産者補給金等暫定措置法」の廃止。加工原料乳生産者補助金、「畜産経営の安定に関する法律」に基づく新制度の施行により、加入農家が大幅に増加

この記事に関連するタグ

関連する記事

牛と牛乳
このまとめが気に入ったら
「いいね!」をしよう

この記事のキーワード

神山 朋香
神山 朋香

大学卒業後、地方公務員として消費者教育や労働福祉の普及事業に従事した後、AGRI PICK編集部に。AGRI PICKでは、新規就農に役立つ情報や農業体験の記事などを執筆しています。